世界で一番知名度がありバス釣りの世界では影響力の強いアングラーがビル ダンスさんです。トレードマークのテネシー大学のTをあしらったキャップがビル ダンスさんのよく知るイメージだと思います。
また、ビル ダンスさんと言えばテレビ番組ビル ダンス アウトドア―ズではないでしょうか、日本でもバラエティー番組でNG集が紹介されハチャメチャなあり得ない衝撃映像に注目が集まりました。
そんなビル ダンスさんは医師の家系に生まれ医者を志した事もある過去があります。そんな高学歴な人がどうしてバス釣りのプロになったのかも記事の中で紹介させて貰います。
では!!「元祖Tぃ~のビル ダンス!!」テネシー大学のキャップの秘密の始まりです(^O^)/
ビル ダンスは帰宅途中のバイク事故に遭遇する事で医師の道を諦める
1940年10月7日に生まれたビル ダンス(William G. “Bill” Dance)は子供の頃からテネシー州リンチバーグにあるマルベリー・クリークで祖父と釣りを楽しんだそうです。10歳の頃にはバス釣りが釣りが好きで将来は釣りに関する仕事に就くか、医師になるか考えていたようです。
祖父から父へと3代から続く医師の家系で育ちます。なので、ビル ダンスは医師になる為にテネシー大学の医学部に在籍して医師になる為の勉強をされていました。
1960年代の初頭に車で帰宅途中の晩に、凄惨なバイク事故に遭遇します。その悲惨な事故が彼の人生を変えました。「現場に最初に駆けつけたのは私でした」とビル ダンスは振り返えります。
「事故現場がとてもトラウマになり、深い影響を受けました。その瞬間、もう医者にはなりたくないと思った」そうです。この事故により、ビル ダンスは医師の道を諦めて釣りの世界で活躍する事になります。
オールアメリカンダービーでビルダンスは準優勝と初バスをゲットする
テネシー州に住むアンティクルアー収集家として有名なクライド ハービン氏がバス釣り仲間を集めてバスフィッシング倶楽部を作っていました。1960年代のビル ダンスは地元の釣具店でセールスマンとして働いていたビル ダンスも在籍していました。
1967年にレイス コット氏がB.A.S.S.を設立する前に開催した史上初のトーナメント、オールアメリカンダービーがアーカンソー州のビーバー・レイクで開催される事になります。
このトーナメントの前情報としてアーカンサス州のチームが全米でトップだとビル ダンスが居るテネシー州のチームがその話を聞き憤慨しトーナメントに参加する事になります。トーナメントにはアメリカの各州のバス釣り自慢からエントリーがあり、106名でアメリカで一番のバスアングラーを決める大会になりました。
このトーナメントで最初のブラックバスを釣ったのがビル ダンスでした。ビル ダンスは60馬力の船外機を使って釣ったのでショットガン スタートでテイクオフして青いフリップテイル・プラスチック・ワームを使ってファーストキャストでバスをキャッチします。
ビル ダンスがスタート地点のほうを振り返ったときには、他の選手たちは、まだビル ダンスに向かって走っていたそうです。この話はバス釣りの歴史の上で語り継がれています。
この記念すべきトーナメント、オールアメリカンダービーの優勝者はスタン サローンでビル ダンスは2位でした。両者はテネシー州出身でしたので、テネシー州の勝利となりました。
「好成績の歴史」トーナメンターとしてのビル ダンスのトーナメント成績
ビル ダンスのトーナメント成績は1970年に初のバスマスター・アングラー・オブ・ザ・イヤーを受賞から始まり、ナショナル・バス・トーナメントで優勝23回、BASSサーキトで9シーズン釣りをして、そのうち3回アングラーズ・オブ・ザ・イヤーに輝きます。これはローランド・マーティン、ケビン・バンダムに次ぐベスト3位タイ記録です。
1972~77年のAOYレースでは6年連続トップ10入りを果たし、バスマスター・クラシックにも8回出場し、4度もトップ10入りを果たし、1973年の準優勝しています。2005年のESPN’s Greatest Angler Debateでの3位(リック・クラン、ローランド・マーティンに次ぐ)など、多くの名声があります。
当時はプロサーキットとテレビの仕事の両立をし、ルアーデザインにも活躍されダンシング・イールや名作クランクであるファット・フリーシャッドのルアーを世に送り出してメガヒットを飛ばすセールスを記録します。
1980年にプロサーキットから39歳で引退します。ビル ダンスがアドバイザーとして関わっている釣り具メーカーや組織は25を超え現在も活躍しています。日本のバラエティ番組でもビル ダンス アウトドアーズのNG集が放送され話題になりまた。
ビルダン スアウトドアーズが放送開始アメリカのトップ3の釣り番組になる
テレビ番組ビルダンス アウトドアーは1968年に放送が開始され累計2000以上の番組が作られています。アメリカの釣り番組、トップ3に入る大人気番組です。
ビル ダンス アウトドアーズはメンフィス近郊のテネシー州コリアビルにある自宅兼制作スタジオで番組は制作されているそうです。ビル ダンス・アウトドアーズはメンフィスのABC系列局で初放送され、それ以来人気が高まっていきます。
テレビの世界に入るきっかけを作ったのは、ルアー界のダビンチと言われているペンシルポッパーやゲイブレードそしてプラスチック版のBIG-Oで有名なコットンコーデル社の創業者であるコットン・コーデル氏に勧められたのが切っ掛けになります。
ビル ダンスとカメラクルーは、毎年26回の番組放送に必要な25分の編集映像を撮るために、4日間も釣りに費やすこともあるそうです。30分のテレビ番組はNBCスポーツで放送され、放送後の番組はその後1年中再放送されるそうです。
この番組は全米で放映され、ホストであるビル ダンスは全米4500万人の釣り人の視聴者を得て有名人の地位を確立します。
また、ビル ダンスの仕事を奥さんであるダイアンと4人の子供たちがサポートしているそうです。この奥さんとの馴れ初めがドラマチックでビル ダンスがデートをドタキャンされた日に知り合ったのがダイアン夫人だそうです。
ビルダンスのオフィスには、”トップ・フィッシング・ショー や “アメリカで最も視聴されたアウトドア番組を称えた賞を受賞しているのにトロフィーは飾られていないそうです。
プロデューサーのマックは言うには。「私たちが気にしている唯一の “賞 “は、この番組がひとつの小さなローカル局から、すべての州で放送され、1800万人の視聴者を獲得するまでに成長したことです」と
ビルダンスはこう発言しています。「自分の好きなことで生計を立てられるのは、とても幸運で、とても恵まれている。
ビル ダンスのトレードマークであるテネシー大学のキャップの秘密
ビル ダンスのトレードマークと言えば、オレンジと白のテネシー大学のキャップですよね。彼はいつもそれをかぶって撮影されたり、写真に撮られたりしています。
「1960年代後半にテネシー大学でフットボールのコーチをしていたダグ・ディッキーは、ある日私に電話をかけてきて、ジョージア州で釣りが好きな選手をスカウトしたら私の大ファンだと言った。
「彼は、その子にメモを渡して、テネシー大学のことをよろしく伝えてくれないかと頼んできた。そうしたら数日後、ダグ・ディッキーからテネシー大学のキャップが届いたんだ。
「その少し後、大きなトーナメントで優勝したとき、私はテネシー大学のキャップをかぶっていた。そのキャップをかぶっているところを写真に撮られたので、次のテレビ番組でも被ったんだ。それ以来、いつの間にか私のアイデンティティの一部になって、ずっとテネシー大学のキャップをかぶっているんだ」。
インタビュアーにテネシー大学のキャップは幸運のお守りですか?と聞かれると「いや、迷信深くはないんだ。「うまくいっていることがあれば、それにこだわりたいんだ」と答えています。
おわりに
最後までお読みいただきありがとうございました。ビル ダンスは、他の釣り人と同様、釣りだけでなく人生においても運が重要だと信じている。と仰ってます。
「自分の人生とキャリアを振り返ってみると、物事には理由があると確信している。「もしあの夜、オートバイの事故に遭遇していなかったら?今日、医者になっていたかもしれない。もしあの時、当初のデートの相手がバックレていなかったら?ダイアンに会えなかっただろう。物事がうまくいくのは不思議だね。運命というか何というか、僕はとても恵まれているんだ」。
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「元祖Tぃ~のビル ダンス!!」テネシー大学のキャップの秘密の記事があなたのバスフィッシングライフのサポートになれば幸いです。
では!!よい釣りを(^O^)/
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