スミスウィックルアーズ社は、1948年にジャック・ケニス・スミスウィック氏によって設立されました。彼はルイジアナ州シュリーブポートでビジネスマシンのセールスマンをしていました。
先代社長はセールスマンとして業績を上げる為に、ハンドメイドルアーを名刺代わりにお客様に配って販路を拡大する中、ハンドメイドルアーが評判を呼び起業する事になります。
二代目社長のジャック・アリソン・スミスウィック氏は、ジャークベイトの代名詞と呼ばれるラトリンログを作った方です。プラドコ社に吸収されるまでスミスウィック・ルアーカンパニーを支えた社長です。
スミスウィック社の歴史は、創業者の情熱と革新、そして困難を乗り越える力によって築かれたものです。釣り好きの方にとって、この歴史を知ることは非常に興味深いことでしょう。
では!! バス釣り界の偉人達! スミスウィックルアーの歴史は親子の歴史!の始まりです(^O^)/
先代社長のジャック・ケニス・スミスウィック氏はセールスマンだった
先代社長のジャック・ケニス・スミスウィック氏は1946年にルイジアナ州シュリーブポートでキャッシュレジスター等のビジネス機器を扱うフリデン・カリキュレータ社のセールスマンをしていました。
趣味として作り始めたルアーを新天地のシュリーブポートで自身の事を知ってもらうために名刺替わりにハンドメイドルアーをプレゼントして営業活動をして名前を覚えてもらったようです。
1947年にはダータータイプやポッパータイプのハンドメイドルアーを作られていたようです。ジャック・ケニス・スミスウィック氏は当初、キッチンで妻が使っていたほうきの柄を削ってルアーを細々と作り続けていたらしいです。
ジャック・ケニス・スミスウィック氏のハンドメイドルアーの出来が良く、魚も沢山釣れるのでビジネスの営業活動の為にやっていたルアー作りは仕事の取引とは別に、ハンドメイドルアーを購入したいと要望もありルアー作りが副収入を得るまでに成長していました。
このスーツ姿でルアーを作っている写真はスミスウィック・ルアーズ社を立ち上げる前の写真だそうです。顧客から頼まれたルアーを、仕事の休憩時間に自宅に戻って作っていた時の写真だそうです。仕事の時間の合間を縫ってルアー製作をしていたことが伺える写真です。
ジャック・ケニス・スミスウィック氏のハンドメイドルアーの噂を聞いた人が大量に注文して来ることが増えたので1948年には本格的なルアーメーカーとしてのビジネスへと変貌していきます。
1948年にジャックKスミスウィックがスミスウィックルアーズを立ち上げる!
作業場もガレージに移してシアーズ リーボック アンド カンパニーから小さな木工用旋盤機を買いルアーの大量生産に備えていきます。
1951年~52年の間でこの木工用旋盤を使ってGandy Dancerなどの様々なルアーが作り出されます。デビルズホースは元はシンキングのS100が作られた後にフローティングのF200が作られます。
デビルズホースの名前の変化は諸説あり1960年代にはDevels Warhorseとネイミングされた後に1960年後半から70年代にはDevils Warhorseに変わり1973年にはCarrot Topになったという説もあります。
また、キリスト教の信者が多いアメリカで製品に悪魔(Devil)を使うのは縁起が悪いので、スペルを意味を持たないDevelにして販売したそうです。しかし、売り上げが良かったので数年後にDevilのスペルで販売したという説もあります。
2代目社長のジャック・アリソン・スミスウィック氏の歴史!
ジャック・ケニス・スミスウィック氏の息子で後に2代目社長になるジャック・アリソン・スミスウィック氏は1959年にCEバード高校を卒業し大学では地質学の理学士号を取得してセンテナリーカレッジを卒業しました。
大学卒業後は地質学者としてハンブルオイル社で働き、その後、父親の後を継いでスミスウィック社に入社します。
本人も釣りが好きでさらにスミスウィック ルアーズを大きくしていく事が夢であったそうです。そして作り出されたのが1969年、スミスウィックはプラスチック製のジャークベイトの代名詞であるログを発表しました。
発売当初は3種類で展開され、サイズは2タイプのフローターと1つはシンキングモデルがデビューしました。 1977年にはもう1サイズが追加されました。
ログにまつわるエピソードとして面白いのが、ルアーを作るにあたり金型を製作しプロトタイプを作りテストを行っていたのですが、プロトタイプのログが凄くバスが釣れるので、本型を作らずに、そのままプロトの金型を使って商品を作り続けて販売をはじめます。
ログの釣れる秘密はボディのバルコニウムという凹みが水との剥離効果を生む事で動きがよくなります。そして半インチ長いボディは高浮力を生みました。他にもリップの素材も柔らかいビューレットを使うことで突発的な動きが生まれます。
また、ジャック・ケニス・スミスウィック氏はログを作るにあたりスプリットリングも軽量なモノを選ばれたそうです。
しかし、当時のスミスウィック社は1個しか作り出せない金型を24時間休むことなく可動して生産していたそうです。その後、最初はノンラトルのログでしたが、70年代後半になってラトルが入ったラトリングログが登場します。
スミスウィック・ルアーズは1975年に火事で会社が全焼していた!
1975年にはスミスウィック社が火事で全焼する事態が起こり古いルアーやプロトタイプなどの資料も失いました。その後、事業を立て直しますが、10年後の1985年には先代のジャック・K・スミスウィックが81歳で亡くなります。
1992年にプラドコに吸収合併されますが、合併前にある親交の深い釣具店の店主に創業者のジャック A スミスウィック氏からルアー等の会社の遺産を引き継いでいるそうです。それもタックル1セットで託したそうです。
2006年6月5日に癌のため2代目スミスウィック社長のジャックA.スミスウィックは74歳で亡くなられます。
おわりに
今回はスミスウィック社の社長の歴史を調べて記事にしてみました。会社が火事を起こしているのでマニアの方も資料の収集が困難な部分があるようです。
しかし、初代もデビルズホースのように現代も販売され続けている名作ルアーを残していますし二代目のジャック・アリソン・スミスウィック氏もラトリンログという名作ルアーを残されている点が凄いと感じてしまいます。
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バス釣り界の偉人達! スミスウィックルアーの歴史は親子の歴史!の記事があなたのバスフィッシングライフのサポートになれば幸いです。
では!! よい釣りを(^O^)/
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