「へドンの歴史!」ジェームス ヘドン バス釣りの概念を変えた男!

バスフィッシングの偉人達

アメリカのミシガン州ドワギヤックのミルポンドからトップウォータープラグでバスを釣る歴史と同時に、ヘドンルアーの歴史が始まったと言われています。

1890年代後半のミルポンドの近くでジェームズ ヘドンは友人を待っている間、口笛を吹きながらハンドナイフで木切れを削っていました。

友人が仕事を終え、ジェームズに声を掛けると彼はその場を去るために立ち上がり木切れを池に投げ込むとバスが木の破片にとび出するを目撃します。

その一見の出来事により、ジェームズ・ヘドンはバスが生エサ以外でも釣る事が出来るかも知れないと考え、1898年に自作のカエルに似せたウッドプラグ、フロッグを作り出します。

では!!「へドンの歴史!」ジェームス ヘドン バス釣りの概念を変えた男!の始まりです(^O^)/


1844年8月28日 ニューヨーク州ジェネレーバレーでジェームス へドン誕生

1818年に父親のリチャード へドンがイギリスから移民としてアメリカのミシガン州キーラータウン に移り住みます。1844年8月28日にジェームス へドン氏はニューヨーク州ジェネレーバレーで誕生します。

そして、1860年代にドアジャックに移り住む事になります。 インディアンのポトワトミ族の言葉でドワジャックの意味は多くの魚だそうです。へドンとの因縁を感じてしまいす。

1967年に父親のリチャード へドンは養蜜製造業を始め1980年代になると海外にまではちみつの名を馳せるまでに事業が成功したリチャード へドン氏はドワジャックの市長にも就任しドワジャックの名士になります。

ボクはジェームス・ヘドン氏は漁師を生業にしていると思っていたのですがYouTubeからヒロ内藤さんに質問したらジェームスヘドン氏の実家の稼業は養蜂家ですと教えて貰いました。

ジェームスへドン氏は父親の養蜂場を手伝いながら1987年に週刊新聞ドワジャック タイムズを立ち上げオーナー兼編集長になり民主党員向けの新聞を販売します。1988年には1年間だけドワジャック市の市長も務めます。


1902年にウィル・へドンと共にジェームス ヘドン&サンズ社を設立

1902年にジェームス・ヘドンは長男のウィル・へドンと共にミシガン州ドワギヤックにジェームス・ヘドン&サンを設立します。へドン社が作りあげた世界初のプラグがスロープノーズ・ドワギヤック・エキスパートです。

ドナルド・D・リヨンによって書かれた本「ヘドンとそのルアー」から、ヘドンは彼の最初の    製品カタログでルアーを次のように説明しました。

バスを釣るのに他のサーフェイスゲームの釣りで、どんなに生き物に似たルアーを作っても何も

得られません。

ブラックバスは、主に闘争的なフィーダーです。したがって、バスの食欲がクリールに置くように計算されるのではなく、ブラックバスの好戦性を興奮させるルアー。

それは水の動きや音が、バスを引き付け、噛む本能を興奮させるカエルやミノーに似ていることに

注目してください。

イミテートしたミノー、カエルなどは、バスの性質や習慣を知らない釣り人を虜にする傾向があるかもしれませんが、これらの模倣的なルアーが「ストライク」を引き起こすのに何の役割も果たさないことは確かです。

1904年までに、彼らはカナダに販売代理店とドワギヤックに新しい工場を持っていましたが、ジェームス・ヘドンはルアーのテストや開発の為にフロリダの地を選びます。1907年には工場を増設するまで事業を拡大します。

1908年に次男のチャールズ氏が会社に加わり ジェームス・ヘドン&サンズに改名します。へドン社はルアーだけを作っているとメーカーと思われている人もいますが、ロッド、リール、その他の周辺漁具も製造販売していました。

1910年になるとアメリカ東北部のみならずサンフランシスコやトロントそしてカナダに販売代理店を置くまでに成長します。その後、1920年代のジェームズ・ヘドンの息子たちは、質の高いタックルを世界へ生産していきます。


1898年のフロッグ~1978までのへドンルアーの遍歴を見てみよう!

ジェームズ・ヘドンは1898年に自作のフロッグを作りから始まり、1902年にスロープノーズを発表から凄いペースでバスプラグを作り上げていきます。

1932年には世界で最初のプラステック素材のプラグ、ザラ スプークがへドン社から発売されます。

透明のボディが幽霊のようなのでスプークと命名されたルアーは3フックタイプから始まり2フックに変更され、更に時代が進むとラインアイの位置も変更されていきます。

32年当時のザラ スプークは当時のプラスチック素材が破損しやすいモノだった事から現存しているザラはかなり少ないようです。

1911年にジェームス へドンは67歳で他界されます。ジェームス氏が開発に携わった最後のルアーがSwimming Minnow 800あたりのルアーが最後なのかもしれません。

1898 – Heddon Frog (end unknown)
1902 – Slopenose Dowagiac Expert (ended 1912)
1904 – Dowagiac Underwater Expert (ended 1904), Sea Runt 610 (ended 1939)
1905 – Dowagiac Minnow 100 (ended 1939), Killer 400 and Killer 450
(ended 1906), Surface Minnow 300 (ended 1929)

1907 – Artistic Minnow 50 (ended 1909)
1908 – Night-Radiant Moonlight Bait (ended 1911), Surface Minnow 402 (ended 1909)
1909 – Baby Dowagiac 20 (first run ended 1909, second run from 1920-1929), Multiple Metal Minnow 500 (ended 1909), Musky Minnow 5 Hook 700 (ended 1910)

1910 – Woodpecker 1001 (ended 1913)
1911 – Swimming Minnow 800 (ended 1911)
1912 – Dowagiac Minnow “0” and Dowagiac Minnow ’00’ (ended 1927),
Light Casting Minnow 10 (ended 1926)

1913 – Black Sucker 1300 and Ice Decoy 400 (ended 1927), Coast Minnow (ended 1926),
Dummy Double 1500 (ended 1916)
1915 – Deep Diving Wiggler 1600 and Near Surface Wiggler 1700 (ended 1926), Crab Wiggler 1800 (ended 1929)

1916 – Baby Crab Wiggler 1900 (ended 1939)
1918 – Spin Diver 3000 (ended 1926) 1920 – Midget Crab Wiggler 1950 (ended 1939)
1921 – Florida Special 10B and Florida Special 10S (ended 1923)
1922 – Zaragosa 6500 (ended 1952) 1923 – Walton Feather Tail 40 (ended 1926)

1924 – Salt Water Special 500 and Salt Water Special 600 (ended 1939)
1925 – Torpedo 120 (ended 1929), Torpedo 130 (ended 1939)
1926 – Salt Water Special 800 (ended 1939), Surface Minnow 260 (ended 1926)
1927 – Flipper 140 (ended 1929) 1929 – Dowagiac Minnow 150 (ended 1954), River Runt 110 (ended 1939), MEADOW MOUSE 4000 (ended UNKNOWN)

1933 – River-Runt Spook 1934 – Musky Surfacer 350 (ended 1936) 1937 – SOS 140 (ended 1939) 1939 – Laguna Runt 10 (ended 1949), Zara Spook 9260 (ended 1978) Unknown – Salt Water Special 900 (end unknown)

1939年にザラ スプーク9260を作り上げへドン社としての最後のルアーはソルトウォータールアーSalt Water Special 900が最後に作られたルアーのようです。そして、へドン社は1950年代に入ると会社を売却する事になります。


1955年 ジェームス ヘドン&サンズ社を売却

へドン社もアメリカの企業らしく収益性の高い時期に会社を売却しようと思ったヘドン一家は1955年にマーチンソン家に事業を売却しました。

1960年にはミシガン州プリモン市ある空気銃を製造販売しているディジー社にヘドン社は吸収合併します。ここで、ラリーウェスト氏とヘドンの副社長をしていたホーマーサークル氏とが出会う事になります。

その後、へドン社は数回の売却が繰り返す事になり、最終的にエビスコインダストリームの一部でもあるプラドコに買収されます。

ジェームズ・ヘドンは魚をキャッチするためにプラグを誕生させ、バス釣りに革命をもたらしました。ザラ・スプークの開発後はリバー・ラント、メドウマウス、ラッキー13などを作り上げていきます。彼の作品のいくつかは今も人気があります。

1911年12月7日にジェームズ・ヘドンは67歳で他界されます。その後、ミシガン州ドワギヤックにあった会社の跡地にへドンミュージアムが作られます。

ミュージアムでは1902~1984年までの82年の歴史としての2000個のルアーコレクションがあり初期の手作りのフロッグも保管されているようです。


おわりに

今回はバス釣り界の偉人ジェームスヘドン氏を取り上げました。世界で初めてプラグを作り出した人として有名ですが、話はそう簡単ではないようです。

ヒロ内藤さんのお話では、確かジェームス・ヘドン氏の父親もウッド製のフィッシュデコイと言う、おとりの漁具を作っている事が分かり、そのスピアリング デコイの写真を見せて貰った記憶があります。

ボクはその後、松下文洋さん書籍で知ったのですがジェームスへドンは1860年代にはスピアリング デコイを父親と共にキッチンを工房として作っていたそうです。スピアリング デコイの使い方は冬の凍結した湖に穴を開けてデコイで魚を誘い出してからモリで突く漁で使うそうです。

また、プラグを最初に作り出したジェームス・ヘドン氏がルアーをリアルな生き物に似せても意味がないと最初の商品解説で断言している点を知らないアングラーは多いと思います。最近へドンのルアーを見ていると、君はボクをどう使いこなすのかな?とルアーが語り掛けてくるように感じてしいます。

ボクはX(旧Twitter)でもバスフィッシングの情報を発信しています。記事を読んで興味を持ってもらえたら「X(旧Twitter)のフォローやいいね!」を頂けると今後の活動の励みになります。また、記事の感想などがあれば、お問い合わせフォームからコメントして下さい。

「へドンの歴史!」ジェームス ヘドン バス釣りの概念を変えた男!の記事があなたのバスフィッシングライフのサポートになれば幸いです。

では!! よい釣りを(^O^)/


コメント

タイトルとURLをコピーしました