魚探革命!ハミンバードはいかにして釣りの世界を変えたか?

ルアー&タックルの歴史と起源を探る

バスフィッシングを楽しまれているアングラーのみなさん、こんにちは!今回の釣りたいバス釣り日記は、魚探に革命を起こした「ハミンバード」について紹介したいと思います。

現在、バスアングラーが使う魚群探知機を想像してみてください。Side Imagingや360 Imagingのような技術は、水中の様子を驚くほど鮮明な画像で映し出し、まるで水中の世界を直接覗き込んでいるかのようです。

しかし、バスボート革命が本格化した1970年代半ば、電子機器の技術はまだその進化に追いついていませんでした。150馬力の船外機が標準となりボートは高速化する一方で、当時の魚群探知機は現代の目から見れば、非常に「原始的」なものでした。

その中で、アラバマ州のB.A.S.S.プロアングラーであり、ルアーメーカーマンズベイトカンパニーの創業者でもあったトム・マンは、大きなチャンスを見出します。

彼は、強力な船外機からの干渉に強く、高速で航行しながらでも魚を探し出せる防水の魚群探知機が必要だと感じていました。彼が求めていたのは、より速く、より丈夫で、より信頼できる「水中の目」でした。1974年、そのアイデアは「ハミンバード・スーパー60」として結実します。

この記事では、トム・マンのガレージから始まった一企業が、いかにして釣りの世界に革命をもたらしたのか、その歴史の中で最も驚くべき、そして影響力の大きかった瞬間に焦点を当てていきます。彼の会社、ハミンバードの物語です。

では!! 魚探の革命:ハミンバードはいかにして釣りの世界を変えたか?の始まりです(^O^)/


驚きの事実1:伝説のブランド名は「スペルミス」から生まれた

アライド・スポーツ社(Allied Sports Company)は、「ハミンバード(Humminbird)」の母体となった企業で、1960年代後半から1970年代初頭にかけて、プロアングラーのトム・マンと数人の投資家(ブレイク・ハニーカット、ヤンク・ディーン、スティーブ・フルトン)によって、アラバマ州ユーフォーラの小さなガレージのような施設で設立されました。

ハミンバードという象徴的なブランド名が、実は偶然の産物だったという話は、会社の創成期を物語る最も面白いエピソードの一つです。トム・マンは、彼の新しい魚群探知機のアイデアに興奮し、投資家である友人のジム・マーフィーにその構想を打ち明けました。

湖の上でデモンストレーションを見せ、マーフィーもその可能性を確信しました。「これは大ヒットするぞ、トム。ところで、会社名はなんて言うんだ?」とマーフィーが尋ねると、トム・マンは「ハミンバード(Humminbird)さ。もう登録申請もした」と答えました。

それを聞いたマーフィーは、「いやトム、それは無理だ。『Hummingbird(ハチドリ)』みたいな一般的な名前は登録できない」と懸念を示しました。しかし、トム・マンは動じません。「登録してくれるさ。もう300ドルを送ったんだからな!」

数週間後、トム・マンは登録証書を手にマーフィーのオフィスを訪れます。証書を手に取ったマーフィーは、微笑みながらこう言いました。

「トム、これは実に素晴らしいアイデアだ。hummingbirdから『g』を抜くなんて、天才的だよ」 トムは笑ってこう返した。「gが入ってるなんて知らなかったよ。俺は『humming-bird』なんて聞いたこともない。おふくろはいつも『humminbird』って呼んでたからな!」

この愉快な偶然が、バスフィッシングのみならず釣り業界で最も認知され、象徴的なブランド名の一つを生み出したのです。


驚きの事実2:CEOの悲劇的な死と、「顧客の声」に賭けたリーダーシップ

1970年代初頭、エンジニアリング監督とCEO就任のために招かれた電気技師であった、ヤンク・ディーン4世は、テキサス・インスツルメンツ社での職を辞して故郷ユーフォーラに戻り、6人体制の最初の生産ラインを立ち上げや、業界初の防水型魚探「スーパー60」の導入を指揮しました。

引用 Bassmaster.com ハミンバード・スーパー60

しかし、1977年10月にディーンは、先天性の心臓疾患により42歳という若さで突然この世を去ります。

この悲劇により、ウェストポイント陸軍士官学校とハーバード・ビジネス・スクールを卒業したベトナム帰還兵、ジム・バルコムが、わずか13人の会社のリーダーという大役を突然任されることになりました。バルコムは、成功を収めたものの旧式化しつつあった「ハミンバード・スーパー60」を超えるブランドを築くには、「破壊的」な何かが必要だと悟ります。

1980年代初頭、彼は当時としては画期的な決断を下しました。次の製品に何を求めるか、顧客に直接アンケート調査を行ったのです。釣り人はもっと多くの機能を求めているという大方の予想に反して、返ってきた答えは驚くべきものでした。彼らが本当に欲していたのは、「よりシンプルで使いやすく、明るい太陽光の下でも読みやすいディスプレイを持つユニット」だったのです。

ハミンバードはこのフィードバックに会社の未来を賭けました。そして1984年、業界初の液晶ディスプレイ(LCD)を搭載し、ボタンはわずか2つだけの魚群探知機「LCRシリーズ」を発売。この製品は爆発的な成功を収め、会社の売上は3年間で600万ドルから7500万ドルへと急増し、市場シェアは0%から一気に48%へと跳ね上がりました。


驚きの事実3:「魚なら赤く映る」—シンプルさが市場を制した大ヒット商品

LCRシリーズの大成功の後、バルコムのチームはすぐに顧客のもとへ戻り、さらなるフィードバックを求めました。顧客が次に望んだのは、魚と、湖底や岩、その他の障害物とを明確に区別できるユニットでした。

この要望に応えるため、ハミンバードのエンジニアたちは日立製作所と協力し、当時開発されたばかりの2色ディスプレイを製品に組み込む方法を模索しました。そして、魚を赤色で表示させる技術を確立したのです。

LCR4ID

こうして生まれたのが「LCR4ID」でした。そのキャッチコピーは、強力かつシンプルでした。「魚なら赤く映る」。この製品は驚異的な人気を博し、1987年までにはスポーツフィッシングとマリンの両業界で売上No.1の製品となりました。

需要はあまりにも高く、18ヶ月もの間、製造されたすべてのユニットがその日のうちに出荷され、一度も在庫として保管されることがなかったほどです。その人気を物語る逸話として、大手釣具店のバスプロショップスが全生産ラインの買い占めを申し出たものの、マーケティング担当副社長のトム・ダイアーは「誰もが公平に手に入れられるように」と、その申し出を断ったといいます。


驚きの事実4:社員に700万ドルを還元した「家族」としての企業文化

バルコム、トム・ダイアー、ビル・ムーラーの経営陣は、レバレッジド・バイアウトを経て、従業員株式所有制度(ESOP)を設立しました。彼らは「荷車を引く仲間たちにも、その繁栄を分かち合ってほしい」と考え、社員が会社の成功の恩恵を直接受けられるようにしたのです。

そして1987年、会社がESOPを清算することを決定した運命の日が訪れます。その日、250人の従業員に総額約700万ドルの小切手が手渡されました。アラバマ州の田舎で働く人々にとって、これは人生を変えるほどの出来事でした。初めて家や車を買い、子供を大学に行かせる機会を手にしたのです。

ジム・バルコムはこの日を振り返り、感慨深く語っています。

「おそらく、私の人生で最も幸せな日だった」

この従業員を第一に考える姿勢は、会社に対する忠誠心と献身的な労働力を育みました。彼らは自らを「家族」と呼び、その文化は今もなおハミンバードの核として生き続けています。


驚きの事実5:「水中スーパーマンのX線ビジョン」がトーナメントを変えた

2004年にジョンソン・アウトドアーズ社に買収された後も、ハミンバードの革新は続きました。2005年には画期的なサイドイメージソナーを発表します。この技術は、トーナメントの最高峰の舞台でその威力を証明します。ケビン・ヴァンダムが2010年と2011年のバスマスタークラシックを連覇した際、彼のボートにはサイドイメージが搭載されていました。

すでにチャンピオンを支える技術を持っていたにもかかわらず、ハミンバードはそこで止まりませんでした。2012年、再び業界の常識を覆す技術「360イメージング」を発表したのです。360イメージングは、ボートの周囲360度、全方向に150フィート(約45メートル)の水中ビューを提供するものです。

この技術は、プロのバスフィッシングの世界に絶大な影響を与えました。バスマスタークラシックを4度制したケビン・ヴァンダムは、この技術を絶賛しました。

彼はこれを「水中のスーパーマンのX線ビジョン」と称えました。

ヴァンダムによれば、この技術のおかげで、水中のカバーが木なのか、ウィードなのかを正確に把握し、そこに潜む魚を見つけ出すことが格段に容易になったのです。すでに頂点に立っていた技術を、自らさらに進化させた瞬間でした。


アラバマの小さな町から、未来の釣りを描き続ける

一人の釣り人の切実なニーズから、アラバマ州ユーフォーラのガレージで始まったハミンバード。その歩みは、絶え間ない革新と顧客第一主義に支えられ、世界的な業界リーダーへと成長する驚くべき旅路でした。

創業から40年以上が経過した今もなお、設計、製造、エンジニアリング、そしてテクニカルサポートの拠点をアラバマ州ユーフォーラに置いていることは、同社の「メイド・イン・アメリカ」への強い誇りを物語っています。その姿勢は言葉だけではありません。

2014年、ハミンバードは中国の上海にあったサテライトオフィスを閉鎖し、その業務をジョージア州アルファレッタに移転。米国のエンジニアを雇用するという具体的な行動でその決意を示しました。

ハミンバードは、大胆なアイデアを釣り人にとって不可欠なツールへと変えてきた歴史を持っています。彼らの次なる一歩が、釣りの技術にどのような革命をもたらすのか。その未来を想像すると、胸が高鳴ります。


おわりに

ハミンバード社はいかにして釣りの世界を変えたのかを知ってもらう事が出来たと思います。マンズ・ベイト・カンパニーの創業者であり、トーナメンターであったトム・マン氏は、ハミンバード・ブランドの生みの親であるアライド・スポーツ社(Allied Sports Company)の創設者であり、1969年から1983年まで同社のCEOを務めた事も紹介しておきます。

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