世の中には名作クランクベトと呼ばれるクランクベイトは星の数程もあります。時代を遡ると、1970年代にコットンコーデル社からシャロークランクベイトのBIG-Oが販売してからは、各メーカーも名作と呼ばれるクランクベイトを作られました。
今回はクランクベトの原点であるBIG-Oの誕生の経緯やその後に起こった、クランクベイトのアルファベット戦争と呼ばれるルアーメーカーが自社のクランクベイトの名前にアルファベットを付けて販売した時代のクランクベイトを紹介したいと思います。
アメリカのルアーメーカーの名作クランクの原点を学ぶ事で、現在販売されているクランクベイトへの見識が深まると思います。
では!! 「1967年代に誕生!」使われ続ける名作クランクベイトたち!!の始まりです(^O^)/
名作クランクベト! クランクベイトの原点コットンコーデルのビッグオー
1967年にノースキャロライナ州に住むフレッドヤング氏が事故で入院中にバルサ材を削って製作したルアーが後にコットンコーデル社から発売されるビッグオーのオリジナルです。
フレッドヤング氏は身体が弱かったそうです。フレッドヤング氏には弟のオーディスがおり、兄のフレッドの製作したルアーを使用してローカルトーナメントで連戦連勝します。
連戦連勝で注目を集め出したオーディスという人物は、大きな身体でビックオーディスと皆に呼ばれていました。ビックオーのネーミングはビックオーディスの使うルアーからネーミングされます。
ビックオーは当時はトーナメント中に貸出をするまでになっていました。1日のレンタル料が20ドルに、もし紛失してしまった時の為の保証金25ドルを納めても、アングラーが使いたいルアーになっていたそうです。
1970年代にコットンコーデルのプロモーターをしていたボビーマーレーがテネシー州で開催していたトーナメントでビックオーの噂を聞きます。
しかし、手に入れようにも、どこにも売っていない、仕方がないのでフレッドヤングの家に行き売ってもらいます。手に入れた、ビックオーをコーデル社長に見せました。
余程いいルアーだったのでしょう、コーデル社長はフレッドヤングに内緒でビッグオーのプラスチック版を製作し販売の許可を得るためにフレッドヤングをコーデル社に呼びます。
コーデル社長はビックOを我社から売りたい旨の話をしましたが、フレッドヤングがこのルアーはバルサだから出来るのであって、プラスチックでは作れないと言いました。
すると、コーデル社長はプラスチック版ビックOを取り出し、フレッドヤングに見せました。
びっくりしているフレッドヤングにコーデル社長が裏に池があるので、そのルアーを試して欲しい、貴方が納得いかないなら、金型を潰すしてルアーの販売は諦めると言ったそうです。
池でプラスチック版ビックOを動かしたフレッドヤングは驚きます。プラスチック版ビックOはバルサと遜色ないアクションで動くのです。こうしてフレッドヤングから許可をを得てコットンコーデル社からビックOを発売することになります。
フレッドヤングはコーデル社長にお願いをします。ルアー作りは身体の弱い私の生活の糧になっているので、ルアーを作り続けてもいいかと?
コーデル社長は作り続ける事を了承し、シリアル番号の100番単位の物を送ってもらうことをお願いします。
クランクベイトのアルファベット戦争を戦ってきたクランクベイトたち
コットン・コーデル社から発売されたビックOは驚異的なセールスをします。これを見ていた他社ブランドもシャロークランクを次々と発表します。
バグリー社はバルサBシリーズ、ボーマー社はモデルAシリーズ、レーベル社はRシリーズを作りノーマン社はNシリーズを作ります。
アルファベット戦争と物騒な言い方ですが、ルアーメーカーはこの時代は不況で経営が大変だったようです。クランクベイトの売上で各メーカーは息を吹き返していきます。
こうして、70年代に始まったクランクベイのアルファベット戦争を経験しているルアーメーカーのクランクベイトにはアルファベットの一文字が入いる事になります。では!それぞれのルアーメーカーの歴史をみていきましょう。
バグリーベイトカンパニー オリジナルBIG-Oと同じバルサ素材のクランク!
バグリーベイトカンパニーを創立したジムバグリー氏は、1954年に地元のポークリンド会社、Bills13を3500ドルで手に入れ事業を始めます。
1955年に従来のポークリンドの形状をワームの形に伸ばしたブラック・マジックイールを売り出します。これが成功して事業の拡大の足掛かりができたそうです。
1960年代にジムバグリー氏がバルサ素材に拘ってジャークベイト、バング オー製作します。バグリー社もビッグオーの成功を見て、社名の一文字Bを付けてアルファベット戦争に参戦しバルサBシリーズを発表します。バグリー社はクランクベイトのタイプごとにレンジコントロールができるシステムを作りあげます。
バグリー社のクランクベイトはBassmasterClassicでもウィ二ングルアーに輝く実績があるクランクベイトです。日本人で初めてBasssmasterClassicで優勝した大森選手やトミー・マーティンも使用したクランクベイトでもあります。
また、現在のバグリー社は高品質のバルサルアーを製造する際の技術である熱圧縮成形(HCM)プロセスを使用して製造されています。この製造方法により、完全なワイヤスルー設計が可能になり、最新のラインやタックルで使用すると、ルアーの強度と耐久性が向上します。
「職人気質なルアーメーカー!」ボーマー ベイトカンパニー!
実はクランクベイトの起源は、1917年にまでさかのぼります。クランクベイトの起源とされるルアーはクリークチャブ社のクリークチャブ ウイグラーとも言われています。このクリークチャブ ウイグラーを改造してディープクランクを作り出した人たちがいました。
1946年に農家のアイク・ウォーカーと楽器店を経営していたクラレンス・タービーによつてボーマーベイトカンパニーが設立します。40年代のアメリカは世界恐慌による経済不況で景気回復の為にニューディール政策が行われ電力確保の為にダム建設が進んでいました。
アイクとクラレンスの地元にもダム湖が建設されます。このダム湖を攻略する為にクリークチャブ社のクロウダット300のリップを改造して作り出されたのがディープクランクベイトの元祖と言われるボーマーベイトの原型です。
その後の1970年代にはボーマー社はモデルAを発表します。モデルAは累計にして数千万個の驚異的なセールを叩き出し一つのシリーズとして世界で一番売れたルアーだと言われています。モデルAはプロサーキットでも必ずタックルボックスに入れて使われ続ける、クランクベイトの一つです。
REBEL サスペンドルアーの起源になるクランクを作り出したメーカー!
ジョージ ペリン氏が釣り好きが高じて1961年にプラドコ社内に釣具を扱う別会社を設立します。それが、REBEL社です。REBEL社もバグリー社と同じくヨーロッパのラパラのミノーを超える為に最初に作ったプラグはジャークベイトのレーベルミノーでした。
プラドコ社は冷蔵庫や家具等に使われるプラスチックの部品を製造する会社ですので、プラスチックでルアーを作る事は自然の成り行きです。プラスチックで製造することで、ジョージ ペリン氏はアングラーに安価にルアーを届ける事を重要視していました。
70年代のアルファベット戦争にWee-RシリーズをREBEL社は発表します。その後にサスペンドRを販売しますが、このサスペンドRはサスペンドルアーの元祖にあたるルアーでもあります。
「Norman Lures company」元プラドコ社の社員が立ち上げたメーカー
ビル ノーマン氏は元々はプラドコ社で従業員として働いていたそうです。プラドコ社でのの製造経験からプラスチック製品の製造知識を得てプラドコ社を退職後にプラドコ社から2~3マイル離れたグリーンウッドでNorman Lures companyを設立します。
Norman Lures companyはバス釣り産業が拡大していた時期とプロトーナメントが行われ出した時期が合致していた時期に創業したので事業を成功する事ができたようです。
ノーマン社はNシリーズのクランクベトをアルファベット戦争の時に発表します。
こうして各社、驚異的なセールスをクランクベイトで得ることができました。このクランクベイトのセールスがなければ倒産したメーカーもあったそうなので、シャロークランクベイトが世に出てこなかったらバス釣りの世界もどうなっていた事か?
おわりに
今回はシャロークランクベイトの起源になる名作クランクベイトとその時代に登場したクランクベイトを紹介しました。クランクベイトが登場して50年が過ぎましたが、今も現役で使用されているクランクベイト達は名作と呼ぶにふさわしいクランクベイトだと思います。
名作クランクベイトを作り出したメーカーはバグリーベイトカンパニーを除いて現在はプラドコ社に吸収されています。まだ、使用した事のない人でこの記事を読んで使ってみたいと感じられたら一度、歴史のある名作クランクベイトを使ってみて下さい。
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「1967年代に誕生!」使われ続ける名作クランクベイトたち!!の記事があなたのバスフィッシングライフのサポートになれば幸いです。
では!! よい釣りを(^O^)/
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