今回のルアーの歴史と起源は、ジャークベイトとミノーの違いとジャークベイトとミノーの歴史について紹介したいと思います。ミノーとジャークベイトの起源をさかのぼると、原点は1930年代にラウリ ラパラ氏が作り出したフローティングミノーに行きつきます。
ラウリ ラパラは漁氏でしたので、一匹でも多くの魚を獲る為の漁具としてミノーを作り出します。第二次世界大戦が終わり、1950年代からラパラは、アメリカへ輸出されるようになります。アメリカでもラパラのミノーは人気を博しますが、高価で手に入る数が少ないのが難点でしした。
そこで、アメリカ製のミノーを作ろうと立ち上がる人たちが現われます。それが、REBELのジョージペレン氏とBagley Bait Companyのジムバグリー氏です。REBELはプラスチック素材でミノーを作り出す事に挑戦し、Bagley Bait Companyは南米のバルサ素材を使ってミノーを製作します。これが、アメリカのミノーの歴史の始まりです。
アメリカでは、後にミノーを模したルアー全般をジャークベイトと呼ぶことがありますが、REBELにしろBagleyにしろ、レーベルミノーやバングオーミノーと商品名にはミノーと謳っています。
では何故、アメリカではジャークベイトと呼ぶのか、諸説ありますが一般的には、アメリカでミノーを使う時にロッドワークでミノーをひっぱたくように動かすので、ひっぱたくの「ジャーク」と餌の意味の「ベイト」が引っ付いてジャークベイトと呼ばれるようになります。
日本ではミノーとジャークベイトを区別して呼ぶことが一般的です。同じルアーであっても、呼び名や使い方に地域差があるのは興味深い点です。
では!「ルアーの歴史と起源!」ジャークベイトとミノーの違いは?の始まりです(^O^)/
1930年代にラウリ ラパラが作り出したルアーがミノーの原型です!
1929年に世界恐慌が起こり世界経済が麻痺する事態が起こります。恐慌は世界中の市民の生活に大きなダメージを与えました。ミノーの生みの親であるラウリ ラパラは、家族を養うために天候が許す限り漁に出て一匹でも多く魚を採るにはどうすればいいのか、模索の日々を送っていました。
1932年前後にラウリ ラパラは、コルクに銀紙を巻いたファーストラパラを作り出します。このファーストラパラは、弱った小魚をイミテートした動きをし以前から行っていた漁とは比べモノにならない桁違いの釣果をもたらしました。
一説によれば、このミノーで一日に600ポンドもの魚を獲ったそうです。このルアーが現代のラパラ・オリジナルフローティングミノーの原型にあたるルアーです。
7年後の1939年、第二次大戦が勃発してから3ヶ月目にソ連がフィンランドへ侵入、冬戦争が始まります。漁に使う、ミノールアーを作る為の材料のコルクや銀紙が手に入らなくなり、代用品として、松の皮などを使用してルアーを作り続けます。
戦争の長期化に伴い、1940年にはラウリラパラ自身も兵に就き食料調達の為に奮闘します。この時、食料確保の為、ラウリ ラパラは自作のルアーを使って凄い成果を上げます。終戦後に、この出来事が噂になりフィンランド中でラパラのミノーは有名になります。
1950年年代からラパラのフローティングミノーがアメリカへ上陸する!
1950年にヘルシンキオリンピックが開催され、オリンピックに出場していた釣り好きのアメリカ選手がラパラ・オリジナルフローティングミノーを本国、アメリカに持ち帰ります。
時を同じくしてアメリカで開催された、ヨーロッパの見本市で紹介されたラパラのミノーが凄い釣果をもたらし、それが評判になって北米からアメリカ全土へと評判が広がっていきます。
しかし、1950年にアメリカに入ったラパラ社のミノーですが、普及には障害が生じました。当時のアメリカで使用されていた、バスタックルに問題があったのです。
当時のアメリカで普及していたバスフィッシングのタックルと言えば、ベイトキャスティングロッドにディレクトドライブのベイトキャスティングリールです。
リールはディレクトドライブ方式なので現代のベイトキャスティングリールとは異なり、ウエイトのあるルアーをキャストするには問題はないのですが、 ラパラ・オリジナルフローティングミノー のような軽量のルアーをキャストするには不向きな道具でした。
そういう理由から、アメリカでは軽いラパラのミノーが普及するにはそれなりの時間が掛かりました。しかし、ヨーロッパから軽量のルアーにも対応できるスピニングリールが輸入されスピニングリールの普及とともにラパラ・オリジナルフローティングミノーはアメリカ全土で使用されることになります。
プラドコの創業者! ジョージペレンが作り出したREBEL Minnow!
当時のラパラのミノーは人気が高く購入金額は高く購入は困難で、釣具店ではレンタルしていたそうです。そんな訳でアメリカでもRapala社のフローティングミノーを超えるアメリカ製のミノーの製作をREBEL luresとBagley Bait Companyがはじめます。
1963年にジョージペレン氏はラパラのフローティングミノーを超える為に経営している会社の子会社として、レベル社を立ち上げプラスチック製のジャークベイトを作り出します。
ジョージペレン氏はたくさんの人にルアーを供給するには、ラパラのようなバルサ素材のミノーではコストが掛かかり過ぎると考えます。
その理由はマテリアルに使用されるバルサ素材は天然素材のため比重にムラがあり品質を管理するのも難しく、品質的なムラを考えるとプラスチック成形で作った方が安価で品質も安定すると考え、プラスチック製のミノーを作ることを決意し、REBEL Minnowを作り出します。
REBEL Minnowの釣れる秘密! 1、2、3の法則 !
REBEL Minnowはラパラのフローティングミノーを超えるために動きやアクションを作り上げていくのですが、バスがルアーの近くまで来てバイトしない事があり、そんなバスをバイトに持ち込めないかと考え出されたのがボディーのクロスパターン模様です。
ジョージペレン氏によると研究に3年もの時間を費やして1、2、3の法則を盛り込んだ のクロスハッチのウロコ模様を持ったREBEL Minnowが1966年に完成します。
1、2、3の法則を持つクロスパターンとはウロコ模様を入れる間隔を変えることで、反射光のリズムに不規則性をもたらすのが狙いです。
ミノーが泳ぐ時は前傾姿勢になりますので、 ロールアクションをする際にキラ・キラ・キラと一定のリズムで反射するよりもキラキラ・キラと一瞬反射の光がズレる事でそれがトリガーになりバスに口を使わす効果を狙ったものです。
Jim Bagleyが作り出したバルサ製のミノーBANG-O-Minnow!
Bagley Bait Companyはジム バグリー氏が1954年に休眠中だったディーン ポークリンド社を買収し会社を立ち上げるところから始まります。
最初はポークリンドの製造を始めますが、その後、ジム バグリー氏はラパラのフローティングミノーを見て同じバルサ素材でミノーを製作してRapalaを抜いて世界一のミノーを作ると言う目標を立てて挑みます。
バルサ材は天然素材がゆえに製品にバラツキが生まれてしまうので、ミノーを製造には難しいマテリアルです。しかし、バルサ材はプラスチックにはない特性があります。
バルサ材は浮力があり軽いのでミノーの動きが機敏なアクションで動きます。この動きはプラスチック製のミノーでは出せない部分です。
バルサ材の弱点はその軽さでミノーをキャストするのが難しかったのです。しかし、ジム バグリー氏はこの弱点を克服すればRapalaに勝てるミノーが作れると考え、1966年にウェイトのある良質の南米バルサ材を使ったバングオー ミノーを発表します。
バング オーミノーに使われた南米バルサ材は普通のバルサ材よりも重いのでベイトキャスティングリールでもキャストが可能になり、アクションはバルサ材の特徴であるキレのいい機敏なアクションでバスを誘います。
Bagley社の技術の凄い所は、ミノーの材料であるバルサ材は生育場所によって密度に差があり比重に影響を与えるのですが、ジム バグリー氏はバルサの密度を計測する機械を作りプラグに適した密度のバルサ材を厳選して製造していたそうです。
ヘドンも60年代にはウッド製ミノーの製作を開始する!
Heddon社も1964年にウッドマテリアルのコブラを発表します。見た目はラパラに近いフォルムをしています。カタログには3フックモデルと2フックモデルの2タイプの大きさのCobraが販売されました。
1967年にHeddonタイガーが作られます。タイガーのデザインは頭部を大きくして、浮力を持たせる事により、ウェイクベイトの動きも組み込まれたミノーになっています。カタログにもウェイキングが出来る事が記載されている事からこれらの機能を意図的に盛り込んで作り上げている事が分かります。
また、リップの取り付け位置もCobraと比べても後方の位置に取り付けられています。これにより強いロールアクションが生まれます。
リップの形状も独特なデザインをしており、クリスマスツリーのような形をした、このリップ、ターボスロットルは掴んだ水を不規則に逃がす様に作られている為、予想しない動きが出せるよう設計がなされています。
ジャークベイトの神ルアーSmithwickのRogueの誕生がおもしろい!
ジャックK. Smithwick氏は起業する前はキャッシュレジスター等のビジネス機器を扱うフリデン・カリキュレータ社のセールスマンをしていました。当時はお客様へのプレゼントとして自宅ガレージでルアー作りをしていました。
1947年にはルアー製作は副収入を得るための副業に変わり、更にルアーの噂を聞いた人が大量なルアーを注文しに来ることで、ビジネスへと変貌していきます。
スミスウィック社も他社と同じようにプラスチック製のジャークベイトを販売する為、プラスチック製のRogueを製造しようと動き出します。
面白い事にRogueの金型を製作しプロトタイプを作ったのですが、プロトのRogueが凄く釣れるので、そのまま商品として売りに出されます。Rogueが釣れる要素が分からないまま、スミスウィック社は1個しか作れない金型を当時は24時間休むことなく可動して生産していたそうです。
生産性を考えてルアーを複数作れる金型を作る事を勧めても金型を変えて釣れなくなるのは困るから、このままの金型でいいと言って古い金型で作り続けたそうです。
開発当初のRogueにはラトルが入ってなく、70年代に入るとコットンコーデがラトル入りのリップレスクランクベイトを発表し、ラトル機能がブームになります。このブームを受けてジャークベイトに初めてラトルを入れたのがラトリンログです。
また、スミスウィック社はルアーのカラーバリエーションが豊富な会社でしたので、ジャーキングの名手である、バスプロのジム ビターがスミスウィックにスペシャルカラーを依頼しても我が社のカラーラインナップは100色以上あるからそこから選べと言ってスペシャルカラーを作ってくれなかった話もあるそうです。
おわりに
今回はミノー&ジャークベイトの歴史と起源を紹介しました。ミノーの歴史はやはりRapalaから伝わりアメリカで様々な人を魅了し新たなイノベーションを起こさせる背景が凄いです。
このRapalaのフローティングミノーを超えようと様々なメーカーが独自の機能を盛り込んだジャークベイトを開発していく過程がとても面白いですよね。
今回、紹介したルアーは現在も現役でアングラーの手助けをしているルアーたちでバスを魅了し続ける力も変わっていない事に感慨深いものがあります。
漁の為のミノーからブラックバスを釣るジャークベイトへ昇華する過程を知る事ができたと思います。
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「ミノーの歴史と起源!」ジャークベイトとミノーの違いは?の記事があなたのバスフィッシングライフのサポートになれば幸いです。
では!! よい釣りを(^O^)/
コメント
ログの逸話が面白いですね!
機会があれば、ジム・ビター関連の
記事も宜しくお願いします😃
次男坊さんコメントありがとうございます😆
ジム・ビターさんの記事は実は探してるんですが、なかなか見つけられず
困っているんですよ🤔 見つかりましたらジム・ビター関連の記事上げさせて
もらいますね😀