「スピナーベイトとは!」スピナーベイトの歴史と起源を探る! 

ルアーの歴史と起源を探る

今回はスピナーベイトの歴史と起源を紐解てみたいと思います。スピナーベイトとはどの様に誕生したのか、スピナーベイトが現代の形になって行った経緯はどの様な歴史だったかを紹介します。

スピナーベイトの起源は1900年初頭のシカゴのルアーメーカーが作り出したシャノン・ツインスピナーです。このルアーメーカーは賞金を掛けてアメリカ初の釣り対決を行ったメーカーでもあります。

1940年代後半に時代が進むと、ルアー界のダビンチことコットンコーデル氏が作り出したスピナーベイトが現代のスピナーベイトのデザインに近づきます。

スピナーベイトの歴史は、釣り具としての進化だけでなく、バスフィッシングの文化と技術の発展をも反映しています。

今日でも多くのバスアングラーにとって、スピナーベイトは魅力的なルアーであり続けています。その奇抜なデザインながらも機能が詰め込まれたスピナーベイトは、60年以上にわたって釣り人の心を掴んで離しません。

では!! 「スピナーベイトとは!」スピナーベイトの歴史と起源を探る! の始まりです(^O^)/


スピナーベイトの原点は1917年に登場したシャノン ツインスピナー!

1917年にシカゴにあるW.J.JAMISON CO.のJ.Pシャノン氏がデザインし作り出したシャノン、ツインスピナーが、スピナーベイトの起源になるルアーです。

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シャノン、ツインスピナー

W.J.JAMISON CO.は1904年にW.J. “Smilin Bill” Jamison氏によって創業したルアーメーカーでよく知られるルアーとしてはフロッグルアーのCoaxerがあります。

Coaxer

エピソードとしては、1910年にJamison氏はニュージャージー州の競技者アンス・デッカーに釣り対決に挑戦します。この対決はどちらのルアーが優れているか確認する為に行われ、この時代の最も有名な釣りの決闘であったそうで、デッカーのトップウォータールアーを打ち負かしましたそうです。

W.J.JAMISON CO. はルアーだけではなくガラスミノーチューブの製造もしていたようですね。ガラスミノーチューブはガラスのチューブに水を入れてエサになる小魚を入れて使う一風変わったルアーでもなく生き餌を傷つけないアメリカの釣り具です。

ガラスミノーチューブ

過去の記事にバスプロのバーニー氏がガラスミノーチューブに関する説明をされている記事を紹介していますのでアメリカの釣りの歴史が学べます。

この時代のルアーで中層を攻略するルアーとして使われていたのがスイッシャータイプのルアーです。トップウォーターのイメージが強いスイッシャーですがこの時代のモノはシンキングタイプが主流で有名なへドンのトービードもスミスウィック社のデビルズホースもシンキングだったそうです。

当時の広告

シャノンツインスピナーはアッパーアームがダブルアームで可動式になってをりフッキング率を上げる構造をしています。特許申請書の中には構造そのものはパテント申請されてないようです。

コットンコーデルのスピナーベイトが登場するまでスピナーベイトといえる物は1940年後半まではシャノン、ツインスピナーしか存在していないようですね。


スピナーベイトはサバイバルキットからコットンコーデル氏が作り出した!

1940年代後半にコットンコーデル社のコットンコーデル氏はスピナーベイトを発表します。当時の形はシャノン、ツインスピナーの形に近かったようですが、コットンコーデル氏は新たなスピナーベイトを手がけていきます。

Carl Richey 'Cotton' Cordell – Bobby Ampezzan
Cotton Cordell氏

コットンコーデル氏は第二次世界大戦終了後、余った軍のサバイバルキットをルアーの材料にして、スピナーベイトを作ります。サバイバルキットの中に入ってあった安全ピンとマラブージグを使ったスピナーベイトは、現在のジグスピナーのような形状をしたスピナーベイトでした。

Cotton Cordell Metal Vintage Fishing Lures for sale | eBay
OUACHITA SPINNER

1957年にシングルブレードスピナーベイトの「OUACHITA SPINNER」を発表します。初期のモデルは第二次世界大戦後の軍のサバイバルキットの中にある子供オムツ用の安全ピンに鉛のヘッドを流し込んだ後にブレードを装着したスピナーベイトです。

なので、初期のスピナーベイトのスカートはマラブージグのスカートを使用しているので、動物の毛で作られていたことになります。

コットンコーデール氏はスピナーベイトを作り出す前にはバナナヘッドジグを作り出しています。バナナヘッドジグとはフェザージグで鹿の毛をタイイングして作っていたのですが、材料の鹿の毛が手に入らない時はペットのイングリッシュセッター犬の毛を拝借したというエピソードもあります。

このOUACHITA SPINNERが大きなセールスを生み出し1957年にアーカンソー州ホットスプリングスにコットンコーデル社を創業します。コットンコーデル社は有名なルアーメーカーの下請けをしていました。バーク社やクリーム社の依頼で各社のスピナーベイトも作ります。


ルアー界のダビンチと呼ばれたコットンコーデルさんってどんな人?

コットンコーデル氏はルアー界のレオナルドダヴィンチと呼ばれるルアービルダーで、白人のアメリカ人らしい信仰心の強いクリスチャンで人間性も素晴らしい人だったそうです。

コットンコーデル社のスピナーベイト

フレッドヤング氏が作り出したビックOのプラスチック版を作りクランクベイトでルアー業界を復活に導いたり、ロッドメーカーのルーミスに出資してバックアップした過去のある方です。

そんな、コットンコーデル氏はスピナーベイトの起源となったシャノン・ツインスピナーの存在を知っていたのか個人的に疑問があったので、ヒロ内藤さんに質問してみました。

ヒロ内藤さんによるとコットンコーデル氏は勉強家なので、シャノン氏のスピナーベイトに大きく影響を受けていたのではないかとのお答えでした。ルアー界のダビンチに影響を与えるシャノン氏も並々ならぬ凄いルアーデザイナーですよね。


おわりに

コットンコーデル氏が作り出したスピナーベイトも時代とともに変化していきます。ヘッド部分がアームに固定されることで、ブレードのバイブレーションがヘッドに伝えやすくなるデザインに進化していきます。アッパーアームも長くなり根掛かり回避するようになっていきます。

更に時代が進むとラインアイの形状にも変化が生まれます。閉じていたクローズドアイからオープンなRアイに進化しスピナーベイトがキャスト中に起こる糸絡みによるラインへの負担を軽減する形状に変化します。

コットンコーデル氏がいなければ現在のスピナーベイトまで機能が進化することはなかったのかもしれませんね。

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子供の頃から釣れすぎる反則ルアーとして使っていたジグスピナーがスピナーベイトの起源だったとはルアーの歴史は面白いですね。この記事が参考になれば幸いです。

では!! よい釣りを(^O^)/


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