「B.A.S.S.のルールブックを作った男」ハロルド シャープ!

バスフィッシングの偉人達

B.A.S.S.の内情に詳しい方はB.A.S.S.の初代トーナメント・ディレクターのハロルド シャープ氏の事を知っている方もおられると思います。

ハロルド シャープ氏は1969年から1986年までの18年間、B.A.S.S.で活躍し、バス競技のシステムとわかりやすいルールブックを作り上げます。

そして、バスマスター・クラシック、トップ100プロアマーズ、初のビッグマネー・イベントでもあるB.A.S.S.メガバックスなど、B.A.S.S.を代表するイベントの創設に大きな役割を果たした人物です。

最初のB.A.S.S.に加盟したバスクラブであるチャタヌーガ・バス・クラブの創立を進めた人物でもあります。また、B.A.S.S.とともに公有水域の汚染を告発しEPA(環境保護庁)の設立と水質浄化法の成立の切っ掛けを作ります。

では!!「B.A.S.S.のルールブックを作った男」ハロルド シャープ!の始まりです(^O^)/


ハロルド シャープ氏は第2回B.A.S.S.トーナメントでランカー賞を獲得!

1929年、テネシー州チャタヌガ市に生まれる、子どもの頃から釣りが好きだったそうですが、チャタヌガ市は鉄道が発達している地域だそうで、この地区の子どもは機関車の操縦士になるのが大人になったら、なりたい職業だったようです。

ハロルド氏も鉄道を仕事にしてバス釣りは休日を楽しむ趣味だったそうですが、1967年の新聞、チャタヌガ・タイムのスポーツ欄にレイス コット氏が第1回オール・アメリカン・ダービー開催の記事を目にします。

トーナメントの参加費が100ドルだった事もあり、ハロルド氏は第1回目のトーナメントには参加はしなかったのですが、トーナメントに参加したアングラーにトーナメントの話を聞きに行ったそうです。

1967年、10月に第2回B.A.S.S.トーナメント・ディキシー・インビテーショナルがハロルド氏の地元に近いアラバマ州レイク・スミスで行われるのが決まります。ハロルド氏がトーナメントの参加を参加費や仕事を休む事などで迷っていると妻のサイリーさんが休暇を使って参加したらと勧めてくれた事もあり、トーナメントに出場します。

この時のトーナメントの成績は18位で入賞はしなかったもののランカー賞を獲得しハロルド氏はトーナメント熱が上がっていきます。


1968年1月12日にチャタヌーガ・バス・クラブを創立する

ディキシー・インビテーショナルの参加を通じてタルサ・バス・クラブを結成したアウトドア・ライターのボブ・コブとトーナメント・アングラーのドン・バトラーに出会い、今後のトーナメントについてのアイディアを貰います。

トーナメントの楽しさを知ったハロルド氏は地元でチャタヌーガ・バス・クラブの設立総会を開きます。レイ スコットが出席する中、ハロルド氏は19人の会員と契約し、会長に選出されます。こうしてチャタヌーガ・バス・クラブは最初のB.A.S.S.に加盟したクラブになります。

1968年1月12日にはドン・バトラーに次いで2人目のB.A.S.S.メンバーとなります。ハロルド氏とレイ スコット氏は一日中ミーティングを重ね、B.A.S.S.とチャタヌーガ・クラブの規則を作成しました。ハロルド氏のアイデアは、現在B.A.S.S.として知られているものにつながりました。 Nation は、47 州と海外 11 か国の提携バスクラブのネットワークです。

そして、ハロルド氏はレイスコット氏にスカウトされ26年勤めた南部鉄道を退職し、アラバマ州モンゴメリーに移ってB.A.S.S.のバスマスター・セミナー・ツアーの責任者になります。

ハロルド氏の業務としては各訪問先でバスクラブについての簡単な説明を行い、バスクラブの結成に関心のある人には面会を申し出ます。

セミナーツアーが終了した後、シャープは提携するすべてのバスクラブの位置を示す地図を調べたところ、サーキットのすべての停留所の周囲にクラブが集まっていることがわかりました。


トーナメントの正しいやり方、間違ったやり方、ハロルドのやり方とは?

引用 Bassmaster.com

ハロルド シャープ氏は、B.A.S.S.の歴史が始まってから20年間、レイ・スコット氏のプロ・バス・トーナメントのルールとフォーマットの製作や改定を助けました。1970年にはB.A.S.S.のトーナメント・ディレクターに就任し1987年に引退するまでその職務を務めます。

ルールに関しては厳格な姿勢の方だったようで、トーナメントの正しいやり方、間違ったやり方、ハロルドのやり方とアングラーたちに語り継がれたようです。

本人もトーナメントは全員平等であること、何があってもそれを守ることが信念だと語られたそうです。

レイ・スコット氏、曰く初期の頃からバスマスターのイベントで不正が行われないようにしてくれたのはハロルド シャープ氏のおかげだと語られています。


帝王ローランドマーチンでもダメなモノはダメ!ルールに厳しいハロルド シャープ!

ハロルド氏のエピソードの一つに帝王ローランド・マーチンがトーナメントの帰着時間に遅れてペナルティを科せられた時のお話です。

ローランド・マーチンが付けていた腕時計の時計はピッタリと時間は合っていたのですが、しかし、前日のミーティングで参加者にハロルド氏は自身の時計と時間をシンクロさせるように時計の時間を読み上げたが、その時ローランド・マーチンは時計を合わせていませんでした。

この出来事が起きて以来は、ハロルド氏の行うミーティングではトーナメント参加者は真剣に話を聞くようになったそうです。そして、ハロルド氏は1986年にB.A.S.S.のトーナメント・ディレクターを引退するまでの間、トーナメント、ルールの基礎を作りあげます。

また、半世紀以上にわたってB.A.S.S.は、きれいな水、健全な水生資源、賢明な漁業管理を求める運動に重要な役割を果たしてきました。

この点でも、ハロルド氏は先導的でした。ハロルド氏と彼の所属するチャタヌーガ・バス・クラブは、弁護士を雇うための資金を集め、B.A.S.S.とともに公有水域の汚染を告発した200以上の企業を訴えました。

「Peg-a-Polluter」と名付けられたこの活動は、水路の産業汚染に全国的な注目を集め、この訴訟の勝利が、EPA(環境保護庁)の設立と水質浄化法の成立のきっかけとなります。


1986年にB.A.S.S.を退職し2004年にバスフィッシングの殿堂入りを果たす

1986年にB.A.S.S.を退職後、シャープはテレビジョンフィッシャーマンのオーランド・ウィルソンのもとで数年間働いた後、自身の会社 “Fishin’ Talents “を立ち上げ、何人かのプロバスアングラーの代理人を務めました。

2004年にバスフィッシングの殿堂入りを果たしたハロルド氏は、バスフィッシングというスポーツの将来を見据えた先見の明を持つひとりでした。

ハロルド氏は88歳の誕生日である9月11日金曜日に体調を崩し始めます。息子さんの話によると、父親は自宅で、妻のサイリーさん、兄のドン・シャープさん、妹のパット・オースティンさん、そしてボールら家族に囲まれて2015年に静かに息を引き取ったそうです。


おわりに

今回はB.A.S.S.のトーナメント・ディレクターを務めたハロルド シャープ氏を紹介しました。B.A.S.S.を影で支えた人物なので日本では、ほとんど知られていない人物だと思います。

B.A.S.S.の組織の拡大やトーナメントのルール製作そして環境保護への活動と多岐にわたっており、人々をまとめ上げて正しい方向へ導く事は並大抵なことではありません。ハロルド シャープ氏から釣り人として学ぶべきことが多く人物であると感じます。

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「B.A.S.S.のルールブックを作った男」ハロルド シャープ!の記事があなたのバスフィッシングライフのサポートになれば幸いです。

では!!よい釣りを(^O^)/


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