今回のバス釣り界の偉人はバス釣りではなくIGFA国際ゲームフィッシュ協会を創立したマイケルラーナー氏(Michael Lerner)を紹介します。
IGFA (International Game Fish Association)国際ゲームフィッシュ協会の創立者であり会長を務めたマイケルラーナーとはどんな人物なのでしょうか。
マイケルラーナー氏は1892年に生まれ35歳になると釣りが切っ掛けで老人と海で有名な作家アーネストヘミングウェイとも交流を持ちます。1936年には国際ゲームフィッシュ協会IGFAを作りあげます。
では!!IGFA国際ゲームフィッシュ協会を作りあげた男!マイケル ラーナー!の始まりです(^O^)/
1892年ニューヨーク州でマイケル・ラーナー氏は誕生した
マイケル・ラーナー氏は1892年にペンシルバニラ州のフィラデルフィアでソフィー(旧姓アイゼンバーグ)とチャールズ・ラーナーの7人の子供の1人として生まれます。
マイケル・ラーナーはニューヨーク州にあるシープスヘッド・ベイで父親のチャールズ・ラーナーから釣りの楽しさを学んだようです。
父や兄弟とともに、婦人服店の全国チェーン店であるラーナー・ショップス(現在のニューヨーク・アンド・カンパニー)を設立します。マイケル・ラーナーは実業家としての側面を持つ人物です。
30歳頃に釣ったクロマグロや1920年代にニューヨーク州のロングアイランド沖でブルーフィン・ツナを釣り上げこの体験がきっかけになりビックフィッシュ・ゲームであるカジキ釣りに没頭していくのでした。
この釣りとの出会いから1930年代初頭にマイケル・ラーナーは稼業を去りビックフィッシュゲーム、海洋研究に人生を捧げます。
マイケル・ラーナーはアーネストヘミングウェイとも交流を持っていた
35歳になると老人と海で有名な作家アーネストヘミングウェイとも交流を持ちヘミングウェイのホームグラウンドであるキューバ海域やフロリダ州のキーウェストへも釣行の足を伸ばし、
1930年代の初頭にはビミニ諸島にも訪れビミニはとても個人的に大切なフィールドだったようで、1935年のハリケーン災害の時も政府よりも先に救援活動を起こしたそうです。
キューバ海域はアメリカ東側を流れるメキシコ湾流がありキューバ海域はビックゲームの宝庫でそこで、まだ未開拓であったカジキの生態系や習性を調べました。
また、フッキング率の悪いカジキをどのようにしたらフックアップ出来るのかと言う技術的な部分もマイケル・ラーナーは探求していたようです。
アングラーであり偉大な作家であるアーネスト・ヘミングウェイは1940年から1962年の亡くなるまでの期間、IGFAの副会長を務められました。
1939年6月7日に国際ゲームフィッシュ協会 IGFAの創立
1935年にとある紳士がビミニ沖で釣り上げたブルーマーリンの剥製を博物館に提供しに来たと魚類部門の主事補のフランセスカ・ラモンテ女史からラーナーへ連絡が入り、それが縁で博物館との交流を深めていきます。
博物館スタッフと共に合同調査のためニュージーランド、オーストラリア、バリ島と遠征する中でIGFA の構想が生まれたようで、1939年7月にマイケル ラーナーはIGFAの創立資金を提供しニューヨーク州にあるアメリカ自然史博物館の中に事務所を開設します。
国際ゲームフィッシュ協会の設立総会は1939年6月7日にアメリカ自然史博物館の狭い2階のオフィスで第二次世界大戦の前夜に開かれました。
設立総会にはウィリアム・K・グレゴリー・博物館の魚類学者フランチェスカ・フランセスカ・ラモンテとジョン・ニコルズ、「フィールド・アンド・ストリーム誌」の編集に長く従事した作家のヴァン・キャンペン・ハイルナーと早々たるメンバーが集まったそうです。
ラーナーの強い要望により、ウィリアム・K・グレゴリーが初代会長に就任しラーナーは副会長を、フランセスカ・ラモンテは書記を引き受けました。
ラーナーは新組織の全経費を個人的に引き受けると発表し、このレベルの支援は1961年にIGFA会長を辞任するまで続けられた。
1950年代に本部をマイアミに移動します。また、マイケル・ラーナーはIGFAの資金確保の一助としてIGFAイヤーブック、記録リスト、IGFA魚類学論文集などを発行しました。
その後、IGFA本部はフォート・ロウダーデールへと移転します。現在はフロリダ州のダニアビーチに世界最大の釣り博物館や釣り専門の図書館を構えています。
博物館には魚の生態を紹介するブースやタックルの歴史、中央のホールには世界記録の魚のレプリカが展示され釣り上げたアングラーの名前が床に刻まれているそうで、これ以外にも様々な演出がされている博物館だそうです。
1961年にマイケル・ラーナーの後継者としてウイリアム・K・カーペンターが会長に就任、彼が財政面での役割をも担います。
IGFAは世界記録魚のデータバンクだけではなく、生物学者と釣り人をつなぐ役割をしており、釣りを通して様々な角度で学び生活と心を豊かにする博物館だそうです。
マイケル・ラーナーは軍人のためのサバイバルキットの設計で表彰されている
マイケル・ラーナーは、彼個人の善意と献身とによってIGFAの地位を高いものにした。そしてIGFAは、第二次世界大戦中、海上で座礁したり漂流したりした軍人のためのサバイバルキットの設計で連合軍を支援しました。
ライフ・ボートやライフ・クラフトに常備するための“サバイバル・キット”の開発により政府から表彰され、そのキットは軍の標準装備のひとつにもなり何千人もの人命救助に貢献しました。
マイケル・ラーナーの数多くの偉業の中に、1940年代後半に、アメリカ自然史博物館のための海洋研究所を自費でビミニに建設したことも挙げられます。
さらに1969年には、彼は海洋調査のためのボートを備えたドック・スペースと、大規模な研究所を新しく寄贈しました。
IGFAの評判が高まるにつれ、世界中からの訪問客が、自然史博物館の中にあったIGFAを訪れるようになった。活動が大きくなるにつれ、IGFAはついに本部をフロリダに移すことになった。
マイケル・ラーナーはマイアミ大学から名誉理学博士号を授与され、国際海洋学財団から「海洋科学のために最も多くのことを成し遂げたスポーツフィッシャーマン」として最初のゴールドメダルアングラー賞を受賞しました。
1978年4月16日にマイケル・ラーナー氏はマイアミの自宅で癌のため死去されます。
おわりに
最後まで読んでくださりありがとうございます。マイケル・ラーナー氏はバスフィッシングからは離れた偉人なのですがIGFA 国際ゲームフィッシュ協会の事を知ってもらう為に紹介しました。
皆さんも世界記録のブラックバスを釣った暁にはIGFA 国際ゲームフィッシュ協会のお世話になると思います。
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IGFA国際ゲームフィッシュ協会を作りあげた男!マイケル ラーナー!の記事があなたのバスフィッシングライフのサポートになれば幸いです。
では!! よい釣りを(^O^)/
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