今回のバス釣り界の偉人はデイブ プレック氏(DAVE PRECHT)を紹介します。デイブ プレック氏はバスマスターマガジンの編集長を16年間務めた方でB.A.S.S.の最長在籍者でもあります。
現在はインターネットの普及でB.A.S.S.のホームページからトーナメントの模様を動画で見る事ができますが、インターネットが無い時代は紙の情報が求められていました。
皆さんは、バスマスターマガジンと言う雑誌を知っているでしょうか、発行部数50万部を超える世界的にバス釣りに特化した雑誌で、内容はトーナメントの優勝パターンからパターンの解析などを取り上げるレベルの高い雑誌です。
現在プロサーキットで活躍しているプロもアマチュア時代にはバスマスターマガジンから知識を得たプロも多いそうです。
では!!「バスマスターマガジンの編集長」デイブ プレックとはどの様な人物か?の始まりです(^O^)/
1949年7月にルイジアナ州ジェニング市にデイブ プレック氏が誕生
1949年7月にデイブ プレック氏はルイジアナ州ジェニング市に生まれます。子供の頃から釣りやハンティングを楽しんだそうです。
小学生の頃の夢はスポーツ誌の編集長になる事だったそうで、大学でジャーナリズムを学び卒業後はテキサス州のヒューマンポスト紙で社会面の記者として働き始めます。
1978年になるとヒューマンポスト紙のスポーツ担当者が定年退職する事になりデイブ プレック氏がその後を引き継ぐことになります。夢であったスポーツ記事に携われるようになり、少しずつ記事も書いていたそうです。
最初の仕事は1978年にミシシッピー州のロス バーネットレイクで開催したバスマスタークラシックでの取材でした。
クラシックの取材で同船した選手は、あのリック クラン氏で、この取材でデイブ プレック氏はバス釣りから多くを学ぶ事になり、これらの情報を多くの釣り人に伝えたいと感じたようです。
「偶然の出会い!」B.A.S.S.のレイ スコットとの出会いが人生を変える
そして、転機が訪れます。この取材の時に検量場に向かう為のバスに乗り遅れてしまうアクシデントにあいます。そして、たまたま検量場へ向かう車を捕まえて乗せてもらうとそこに、レイスコット氏がいました。
車内で色々と話をしているうちに意気投合し後日、デイブ プレック氏をB.A.S.S.のスタッフに招きます。
ヒューマンポスト紙で8年間働いた後、1984年にデイブ プリット氏は妻のリンダとともにアラバマ州に移り住み、バスマスターのスタッフ・ライターとB.A.S.S. Tournament Trailの広報担当として働き始めます。
バストーナメントに参加していないときには、ジョージ・H・W・ブッシュの大統領選挙のキャンペーンでアラバマ州議長に指名されたばかりのスコットのスピーチ・ライター兼広報アシスタントも務めていました。
そして、デイブ プリット氏は南東部の州をカバーする狩猟と釣りの雑誌である別のB.A.S.S.所有の雑誌、サザンアウトドアを引き継ぎました。
1984年、ボブ・コブ氏がナッシュビル・ネットワークで新しいテレビ番組 “The Bassmasters “のプロデューサー兼ディレクターに就任したのを機に、バスマスターの編集者に異動します。プロアングラーのHOW TO情報を主要な情報源とすることで、ボブ・コブ氏が確立した編集形式が維持されました。
デイブ プリット氏は優れたコミュニケーション能力の高い人なので、情熱的で熟練したアングラーの寄稿者の顔ぶれを揃えることにも着手しました。
バスフィッシングの殿堂入りメンバーであるドン・ワース、スティーブ・プライス、ティム・タッカー、ルイ・スタウト、ウェイド・ボーンらバスマスターのシニアライターは、B.A.S.S.の新規会員を数千人単位で集めるの事に貢献しました。
雑誌の継続的な成功に伴い、発行頻度は年8回から11回に増え、バスマスターはフィールド&ストリームやアウトドアライフと並んで全米で最も人気のあるアウトドア雑誌となっていきます。
1988年にジョージ・ブッシュが大統領に選出された、ニューヨークタイムズの特派員モーリーンダウドは、彼のお気に入りの雑誌はバスマスターマガジンであると報告しています。
Adweekは、Bassmaster MagazineをVanity Fair、Parade、U.S. News & World Reportとともに「1988年の最もホットな雑誌10誌」の1つと宣言しています。
1989年にはバスマスター雑誌編集者のデイブ プレック氏は、国の漁業に影響を与える問題について、ジョージH.W.ブッシュ大統領と2つの円卓会議に参加しています。この様にB.A.S.S. は日本と違いしっかり政界とのパイプを作りあげてバスフィッシングを守るための布石を打たれています。
「バスマスターマガジンの歴史」1968年バスマスターマガジンが創刊する
1967年の3月のある日、生命保険のセールスマンだったレイ・スコット氏は、出張先で1日釣りのスケジュールを組み入れました。
しかし、残念ながら当日は雨で釣りに行くことができず、ミシシッピ州ジャクソンのモーテルの部屋でバスケットボールの試合を見ながら、プロ・バスケットボールみたいにバス釣りもプロスポーツ化する事が出来ないだろうかっと?バスフィッシングのトーナメントのアイデアを思いつきました。
同年6月にはアーク州ビーバーレイクでオールアメリカンダービーを実施します。13州から106人のアングラーに100ドルの出場料を請求します。この時の大会でスタン・サローンが優勝し、2,000ドルの現金とアカプルコへの旅行を獲得します。
1968年にレイ・スコット氏は、バスアングラースポーツマンソサエティ(B.A.S.S.)を正式に結成し、法人化します。オクラホマのドンバトラー氏は、レイスコット氏に生涯メンバーシップの権利獲得の為100ドルを支払った後、最初のB.A.S.S.メンバーになります。
レイ・スコット氏は、バスアングラーに新しく結成された協会への入会に興味を持ってもらうために、シルクで刺繍された公式B.A.S.S.会員パッチやB.A.S.S.会員証とB.A.S.S.年間カレンダーそして、バスマスターマガジンの年間購読と言う特典です。
レイ・スコットにはビジョンがあり、それは1968年の春のバスマスターマガジン創刊号の2ページ目に印刷されたBASSの目的に明確に述べられています。
- アメリカのバスアングラーを組織する
- バス釣りを主要な参加スポーツとして一般の認識を高める
- バスをキャッチする為のテクニックやアイデアの交換を通じてバスアングラーとしてのスキルを向上させる
- 私たちの州の保全部門に私たちの組織的な道徳的および政治的支援と励ましを提供します
- 適切な水の基準と既存の規制基準の法的執行を要求する。
- 私たちの湖や小川での釣りが「ダメになる」理由と、私たち自身と子供たちのために最高のバス釣りを回復し維持するために、これらの水域に何ができるのかについて、民間と政府の研究を奨励する。
- 青少年の釣りを促進・奨励する
- バスフィッシング・トーナメントの全国大会の開催
レイ スコット氏はB.A.S.S.に奉仕するメンバーとトーナメントトレイルを宣伝するために、バスマスターマガジンを立ち上げました。これは、ニューヨークタイムズが「バス釣りの聖書」と表現し、最終的には65万人に配信されます。
バスマスターマガジンを50年近く引っ張って来たデイブ プリット氏の偉業
バスマスターマガジンのライターはライター自身がトーナメンターとして通用する技術や知識を持ち合わせた人が執筆するそうです。疑問の残る記事は徹底して検証してから掲載します。バスの生態に関する記事なら複数の生物学者の意見を聞いた上で掲載しているそうです。
また、読者層にも気を配り言葉使いや誹謗、中傷するような表現を記事には載せない配慮と子供を釣りに連れて行ける楽しさの部分も記事にしているそうです。
B.A.S.S.がESPNに買収された直後、デイブ プリット氏は編集やコンサベーションなどいくつかの部門のシニアディレクターに昇進した。
20年近くバスマスターの編集に携わった後、2003年に50年以上の歴史を持つ同誌の3代目編集長となったジェームス・ホールにその職を譲ります。
2019年7月にB.A.S.S.を退職、入社40年半でB.A.S.S.の最長在籍者となり、その中にはバスマスター編集者としての19年間と編集長としての16年間が含まれています。
おわりに
今回はバスマスターマガジンの編集長を務めたデイブ プレック氏とは、どのような人物なのかを紹介しました。
2011年にはデイブ プレック氏はバスフィッシングの殿堂入りを果たし、そして2018年には、フレッシュウォーターフィッシングの殿堂、そして、レジェンド・オブ・ザ・アウトドアーズの殿堂入りを果たしました。
デイブ プレック氏はバス釣りは学べば学ぶ程つり上げる可能性が高まると同時に学べば学ぶほど、学びたいことが増えると語られたそうです。
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「バスマスターマガジンの編集長」デイブ プレックとはどの様な人物か?の記事があなたのバスフィッシングライフのサポートになれば幸いです。
では!! よい釣りを(^O^)/
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