「バス釣り界の偉人にしてプラドコの重鎮!」ラニーウェスト氏について 

バスフィッシングの偉人達

今回のバス釣り界の偉人はバスプロでも無く、ルアーメーカーの創業者でもなく、はたまたルアーデザイナーでもない、プラドコの元営業部長をされていたLANNY WEST(ラニーウェスト氏)を紹介します。

ラニーウェスト氏のお仕事はプラドコの海外部と言う部署で働いていた方で、ヒロ内藤さんがプラドコに移籍する前の日本市場の担当をされていた方です。1980年代には日本にも来られていたようです。

ヒロ内藤さんにして、ラニーウェスト氏と13年間、同じ職場で働けたことは僕にとってかけがえのない宝物と話される人物です。そして日本においてもルアーフィッシングの普及に貢献した人物がラニーウェスト氏です。

では!!「バス釣り界の偉人にしてプラドコの重鎮!」ラニーウェスト氏についての始まりです(^O^)/


1957年に大学を卒業後、デイジーマニファクチュリングカンパニーに入社

ラニーウェスト氏は1933年にミシガン州、デトロイトで誕生されます。子供の頃から釣りや自然に触れる事が好きな少年で、ボランティア活動にも参加し地域に貢献していたようです。

地元のミシガン州のプリモス市にある大学で経済学を専攻します。このプリモス市にはエアーガンで有名なデイジーマニファクチュリングカンパニーがあります。

このデイジーマニファクチュリングカンパニーでは毎年行われるエアーライフルを安全に使用してもらう為の安全講習会が開かれ、ラニーウェストさんは講習会のボランティア員として参加していました。

1957年に大学を卒業後に地元の企業であるデイジーマニファクチュリングカンパニーに入社し営業部署で勤務します。

デイジーマニファクチュリングカンパニーとは、1985年にBB弾を使ったエアーライフルを製造したエアーガンの老舗的なメーカーで創業は100年を超える歴史のある老舗メーカーです。


1960年へドンはデイジー社に吸収されますが、それが切っ掛けでラリーウェスト氏がへドンと繋がる事になる!

1961年のヘドンカタログから

1960年になるとデイジーマニファクチュリングカンパニーはヘドン社を吸収合併しフィッシングとハンティング用品を取り扱うようになります。

ラリーウェストさんはミシガン州とオハイオ州北部が担当エリアで顧客にサービスを提供していたのでミシガン州ドワジャックのヘドン社に頻繁に顔を出していました。

1963年にラリーウェストさんはデイジー/ヘドン社の管理職に就任し、当時ヘドンの副社長を勤めていたホーマーサークル氏と親交を深めていきます。

数年後にデイジーマニファクチュリングカンパニーはハンティング部門を残してフィッシング部門のヘドン社を売却する事にします。ラニーウェスト氏はデイジー社のハンティング部門に残り、ホーマーサークル氏はヘドン社を離れフィッシングジャーナリストになり成功します。

1973年にREBEL社の社長であるジョージペレン氏はREBEL社の営業部長にふさわしい人を探していました。それを聞いたホーマーサークル氏はラニーウェストさんを推薦します。ラリーウェストさんとホーマーサークル氏の親交は深く誕生日には連絡を取り合っているそうです。

ヘドン社での釣り具業界の思い出もあったラニーウェストさんはREBEL社に移籍する事を決めます。1980年になるとジョージペレン氏はREBEL社を含め自身の事業のコアでもあるプラドコ社をアラバマ州にあるエビスコ社に売却します。

プラドコはエビスコの資金力を活かして1980年にコットンコーデル社、1983年に古巣のヘドン社、1991年にヒロ内藤さんと共にバグリー社のシルバースレッド・フィッシングライン、2015年にはノーマンルアーと数々のアメリカの老舗ルアーメーカーを吸収しています。

会社が大きくなって行く中でラニーウェストさんは言い続けていた言葉は「釣り具の仕事は単に商品を売る事ではなく、釣り人に笑顔を作り出す仕事なんだ」と仰っていたそうです。

ラニーウェスト氏は最終的に国際セールス担当シニア ディレクターの職に就き2003年に退職された後、カリフォルニアに移られます。

アメリカ釣具メーカーの歴史的背景とヘドン社の歴史を見てきた人物であり、今も知りたい事があれば、ラニーウェスト氏にコンタクトを取る人が多いそうです。


ヒロ内藤さんから伺ったラニーウェストさんの人柄と若き日の内藤さん

2023年10月7日にフィッシング叶でHIROismの新作ロッドのイベントでヒロ内藤さんに直接お会いして、ラニーウェストさんのお話をお伺いする事ができました。

ヒロ内藤さんがバグリー社からプラドコに移籍して初めてラニーウェストさんにお会いしたそうですが、当時のヒロ内藤さんはラニーさんが元へドン社に居た凄い人だとは知らなかったそうです。

ボクはラニーウェストさんはヒロ内藤さんの上司にあたる人だと思っていたのですが、内藤さんに聞くと、そうではなく海外部には上司にあたるのは社長だけだったそうで、ラニーウェストさんはプラドコ社では先輩にあたる方だそうです。

余談ですが、ヒロ内藤さんのI-CASTのYouTube動画に出演していたプラドコのチャッドさんは海外部の人ではなく、別の部署の方で釣りが、かなり上手な方だそうです。ヒロ内藤さんが退職後は海外部は無くなっているそうです。

ラニーウェストさんの仕事ぶりは情熱的で自分たちが行っている仕事はモノを売る事が仕事ではなく、釣り人に笑顔を作り出す仕事なんだと仰っていたそうです。ヒロ内藤さんはラニーウェストさんやプラドコの社長と仕事をする上で自由に色々な事に挑戦する事が出来たと語られていました。

そんな、ラニーウェストさんとヒロ内藤さんのエピソードとして面白かったのが、ラニーウェストさんと共にパスプロショップスへ仕事へ向かう時のお話です。

車でラニーウェストさんとバスプロショップスへ向かう道中で昼食を取ろうという事になり、「ヒロ何が食べたい?」と言うと、ヒロ内藤さんは「ボクはハンバーガーでいいです。」と答えたところ!

ラニーウェストさんの表情が変わりジャンクフードを食べる事の恐ろしさを内藤さんに滾々と説明されたそうです。実はラニーウェストさんは仕事も然ることながら健康の為に食生活にも気を配られている方だったそうです。なので、バスプロショップスに着くまでの道中はお説教だったそうです。

ヒロ内藤さんは若い頃は朝飯抜きで釣りをしたり、食事もジャンクフードで済ましていたそうで、バグリー社に努めている時もバグリー社長が心配してヒロ、昨日は何を食べたと聞かれハンバーガーと答えると怒られるので、ミンチ肉とレタスとパンを食べましたと言って誤魔化していたそうです。


おわりに

今回はプラドコ社の海外部に勤めていたラニーウェストさんについて記事を書いてみました。この記事を書くにあたり、色々と調べたのですが、コアなバスアングラーの方以外注目されることの無い人物だったので情報があまりありませんでした。

しかし、ヒロ内藤さんから直接、お話を伺う事ができてラニーウェストさんの人となりを知る事が出来た事は貴重な体験でした。現在もヒロ内藤さんと連絡を取り合っているそうで、ラニーウェストさんがヘドン社で働いていた時の品を譲って貰ったりしているそうです。

また、驚く事にラニーウェストさんが所有しているバスボートが第1回BassmasterClassicでREBEL社が開発し提供したバスボートを所有されているそうです。まだ現物が存在している事にも驚きですが、流石プラドコの重鎮と思わせてくれるエピソードです。

ボクはTwitterでもバスフィッシングの情報を発信しています。記事を読んで興味を持ってもらえたら「Twitterのフォローやいいね!」を頂けると今後の活動の励みになります。

「バス釣り界の偉人にしてプラドコの重鎮!」ラニーウェスト氏についてを最後までお読みいただきありがとうございました。この記事があなたのバスフィッシングライフのサポートになれば幸いです。

では!! よい釣りを(^O^)/


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