「ルアーの歴史と起源 ラバージグ!」2人の釣り人の情熱と歩み!

ルアーの歴史と起源を探る

ラバージグの歴史を辿って行くとジグの歴史とスカートの歴史とが別々に進み、ある年代でラバージグの原型へと昇華していく歴史があります。

1900年初め頃に登場したジグはただのシングルフックにガン玉を付けた現在のジグヘッドに近いものだったようです。そこから時間が流れ1960年後半になるとラバーを細く切って取り付けた現在よく見かけるデザインのラバージグが登場します。

この60年間の時代に何が起こったのでしょうか?

今回は「ルアーの歴史と起源 ラバージグ!」2人の釣り人の情熱と歩み!をお届けします(^O^)/


発明家 ウィリアム・アルバ・フォス氏が作り出したルアー!

ウィリアム・アルバ・フォス

ウィリアム・アルバ・フォス氏は1868年にオハイオ州コビントンで生まれました。彼は釣りのルアーを作り始めるずっと前から発明家でした。1900年2月にフォスは公衆電話の原型になる電話料金徴収装置の特許を申請した。

3か月後、資本金は10,000ドルでアル・フォスと他の4人の男性とオハイオ州クリーブランドにあるアメリカン・トール電話会社を設立しました。

同社は、フォス氏が特許を取得した電話用のコイン・イン・ザ・スロットの機器を製造する目的で組織されました。 

その後はキャッシュレジスターの事業を始め1911年にはオハイオ州クリーブランドでスロットマシンの事業も行っています。

そんな多彩な才能を持つアル・フォス氏は1915年にアルフォス・フィッシングタックルを設立します。

Al FOSS PORK RIND MINNOW

アル・フォス氏は1915年に集魚効果を狙ったスピナーが付いたジグヘッド、リトル・エジプトやポークリンドミノーを作り出し特許を取ります。

また、アル・フォス氏はポークリンドの創始者で1916年にジグと共にポークリンドも販売します。1925年にはAl Foss 3-25 Easy Control Castingという精度の高いベイトキャスティングリールも販売しています。

1921年のヘドンカタログに掲載

他のメーカーとしては1920年にトップウォータールアーの世界を広げたヘドン社もウィードガードを付けたジグヘッドを製作しています。現在のブレードジグに近いデザインですよね。

アル・フォス氏は1929年に引退し、大恐慌の直前にオハイオ州ジュネーブのアメリカン・フォーク・アンド・ホー・カンパニーに事業を売却した。彼らはTrue Temper部門を通じてAl Fossルアーを製造し、その後30年間で釣り道具の製品を拡大しました。

アル・フォス氏はトーナメントキャスターでもあり、トーナメントキャスターの父と呼ばれるほど有名な人物だったそうです。

実はこの後に紹介するフレッド・アーボガスト氏が1917年に開催されたキャスティング大会、アルフォスカップの勝者であったことは興味深いです。

1940年にアル・フォス氏は全米釣り・キャスティング・クラブの会長に選出され、1949年のエイプリルフールの日にフロリダ州オーランドで亡くなりました。


1937年にフレッド・アーボガスト氏がラバースカートを発明する!

1941年と1943年のカタログに掲載されたイラスト

フレッドアーボガスト氏は車のタイヤメーカーのグッドイヤーに勤務していました。様々な部署で仕事を経験していたようでゴムに関する知識を蓄積していたようです。

フレッド・アーボガスト氏はフラダンスのショーで踊るダンサーのフラスカートからヒントを得て現在のラバースカートの前身になるフラスカートを作り出します。

1937年にフレッド アーボガスト氏がラバースカートの特許を申請し、1938年にはラバースカートのパテントを修得します。

パテントにはスカートの構造も掲載されており生産性も考えられています。また、スカートを作る為の機械などもこの時期に考案されています。

The Fred Arbogast Company Fishing Lure Collector’s Guide: The Hawaiian Wiggler Family

フレッド アーボガスト社はラバースカートのパテントが切れる17年間はジグヘッドにラバースカートが取り付けられたジグはフレッドアーボガスト社のモノしかなく独占的な商品になっていました。

ハワイヤンウイグラーは1935年から1936年にかけて市場に登場します。当時は動物の毛を使ったバックテールが主流でしたがハワイヤンウイグラーはラバースカートを搭載した最新モデルとして販売されます。シングルスピナーの価格が0.40ドルダブルスピナーが0.50ドルでウェイトは5/8ozです。

ハワイヤンウイグラーを見ていて要るとスピナーの部分が無いとほぼラバージグのシルエットになっています。そして、ウィードガードも取り付けられている点も注目したい部分です。

ハワイヤンウィグラー

フレッド・アーボガスト氏がハワイヤンウイグラーに組み込んだ機能としてカバーを攻めるという部分が重要視されていたようです。ブレードのアッセンブリは社内で作る事が出来なかったようでブレードは地元のメーカーに作らせていたようです。

1950年代になるとブレードが取り除かれたウェイトが1/25ozのフラフライ1951年~1956年や1957年~1977年まで販売されたボトムバンパー1/4ozと5/8ozサイズが登場します。

1950年代になるとアラン ジョーズ氏がマブラージグを考案しバス バスターベイトカンパニーを設立します。アラン ジョーズ氏は2004年に他界されますが、トーナメントやテレビでカリスマ的な存在の人だったそうです。

1957年にバーギル ワード氏のバス バスター ルアーカンパニー社からもマブラージグが登場します。

1960年の後半になるとラバーを細く切った形状のラバージグが登場します。

1980年になるとジグ&ポークの釣りがバス マスタークラシックで優勝キールアーになったことで注目されるようになります。


アルフォス・フィッシングタックルから初めて販売! ポークリンドの歴史

ラバージグの歴史を調べるとポークリンドの存在の大きさを感じる事ができます。ジグとポークは共に誕生しているので切り離して考えてはいけないルアー達です。

1916年にアルフォスフィッシングタックルから初めてのポークリンドが販売されます。ヘドン社も1921年のカタログにはポークチャンクという商品をカタログに載せていたようです。

1880年にバーギル・ワード氏はウィスコンシン州に生まれます。1911年に海軍を退役し地元に戻ると釣りに行く事が増えます。そんな中ポークスキンをカエルのイメージにカッティングするアイディアを思いつき1922年にUncie Josh Bait Conpanyを設立しポークリンドの製造を開始します。

1923年にジム・バグリー氏が誕生します。幼少より釣りを始め飛行機も大好きなのも有名です。第二次大戦中は戦闘機のパイロットを目指していたようですが、視力に問題があり爆撃機のパイロットとしてヨーロッパで従軍していたそうです。

戦争が終わり、地元のフロリダ州ウインターヘブンに戻って電気の配管工として働きます。しかし、長年好きだった釣りで生計を立てたいと考えて1954年に地元のポークリンド会社、Bills13を3500ドルで手に入れます。

1955年に従来のポークリンドからワームの形に伸ばした形のブラック・マジックイールを販売します。このポークリンドが成功して事業拡大の足掛かりになります。

しかし、ヘドン社もバグリー社もポークを作っていたのに何故に販売を止めてしまったのか理由としてポークリンドを製造するにあたり製造コストが掛かる割に儲からないのが理由なようです。

アンクル ジョッシュ社は一旦は会社を畳みますが、現在でもポークを作り続けていますし、ポークリンドの代名詞になっています。


おわりに

今回はラバージグの歴史を紹介してみました。ボク自身、改めてラバージグの歴史を調べるとアル・フォス氏という人物の発明家、実業家としての凄さを知る事が出来ました。

そして競技としてのキャスティグでフレッド・アーボガスト氏とアル・フォス氏との接点がある事を知った時はこの時代のバスフィッシングの情熱と運命的なモノを感じることが出来ます。

現代も新たなアングラー同士がルアーを開発していく中で歴史的な融合があるかもしれないと考えるとロマンを感じずには得られません。ラバージグの歴史を通してあなたのバス釣りの趣味としての密度が濃くなると嬉しく思います。

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「ルアーの歴史と起源 ラバージグ!」2人の釣り人の情熱と歩み!の記事があなたのバスフィッシングライフのサポートになれば幸いです。

では!!よい釣りを(^O^)/


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