バス釣り界の偉人!フレッドアーボガスト・カンパニーの歴史!

バスフィッシングの偉人達

今回、ご紹介するバスフィッシング界の偉人は、フレッドアーボガスト・カンパニーの創立者のフレッド アーボガスト氏です。

なんと!!フレッドアーボガスト氏は54歳という若さで他界されたのですが、短命ではありましが、ルアー界に物凄い功績を残された方です。

フレッドアーボガストのルアーで有名なルアーとしてはノイジールアーの元祖と呼ばれるジッターバグが思い浮かぶと思います。それ以外にも、ラバージグやスピナーベイトに取り付いているラバースカートを作り出したのもフレッドアーボガスト氏です。

また、ルアーのデザインだけではなく、キャスティングの競技でも世界記録を保持していたこともある腕前を持たれていた方です。なんと!! ディレクトドライブのベイトリールで70m超えの飛距離を叩き出します。

バス釣り界の偉人!フレッドアーボガスト・カンパニーの歴史!の始まりです(^O^)/


フレッド アーボガスト氏はGOOD YEARの社員だった!!

フレッド アーボガストは1894年にオハイオ州、アクロンという町で生まれます。釣りは父親のジョン(ジョンソンAアーボガスト)から教わったそうで、1906年の12歳の時には既に自身でルアーを作る事を始め、キャスティングの競技にも興味を持ち始めます。

また、フレッド アーボガストは高校生になったころには、サッカーや野球とスポーツは得意だったそうです。

アメリカの五大湖地域は、その豊かな水資源と交通の利便性から、19世紀末には工業地帯として急速に発展しました。特にオハイオ州アクロンは、「タイヤとゴムの首都」として知られるようになり、その発展のきっかけとなったのが、グッドイヤータイヤ&ラバーカンパニーの設立でした。

1898年、フランク・セイバーリングによって設立されたグッドイヤー社は、当初は自転車や馬車のタイヤ、さらにはポーカーチップの製造からスタートしました。しかし、その後の自動車産業の爆発的な成長と共に、グッドイヤー社もまた急成長を遂げ、1926年には世界最大のゴム会社となりました。

この地域の工業化は、多くのタイヤメーカーが集中する原動力となり、アクロンは人口増加と経済発展を経験しました。五大湖から流れる水路は、原材料の輸送や製品の流通に不可欠であり、アクロンのような都市が工業の中心地として栄える土壌を提供しました。

工業地帯となったアクロンは1920年には人口2万人を超える都市へと発展してゆきます。そして、フレッド アーボガストは、1913年の高校卒業後にタイヤメーカーのグッドイヤーに入社し働き始めます。


そんなに飛ばすの? キャスティングの世界記録を持つルアービルダー!!

フレッドアーボガストは会社員として働きながらアクロン キャスティングクラブのメンバーに入ってキャスティング競技にも挑戦します。

フレッドアーボガスト氏

1917年にはアクロン市で開催されたキャスティング大会(アルフォス・カップ)に出場し初出場でベイトキャスティング部門の1/2OZクラスで優勝します。飛距離は162フィート49.38mを出し、この優勝をきっかけにキャスティングに没頭していきます。

アルフォス氏はアルフォス・フィッシングタックルでポークリンドとジグヘッドを販売していた方で後にフレッドアーボガストがフラスカートを開発する事でラバージグへと昇華していきます。

ウィリアム・アルバ・フォス

1922年にはシングル ハンドのベイト部門1/2OZクラスで世界記録を更新、4回のキャスティングの平均距離が250フィート9インチ(76.4m)最長距離は271フィート10インチ(82.9m)だったそうです。

1926年にはライトタックル部門で244フィート、メートル換算で約74.4mという2つの世界記録を樹立しています。フレッド アーボガストはロングキャストする為に考えたのはロッドの初速を上げる事だそうです。

使っていたロッドは以外にも短いファーストテーパーのロッドを使う事で振り抜けをよくしてロッドの初速を上げ距離が伸ばすと結論したようです。ファーストテーパーはロッドにウェイトを乗せづらいように感じますが、飛距離が出せるんですね。

この当時はクラッチ付きの現代のようなベイトリールではなくディレクトドライブのベイトリールによる飛距離ですから凄い事だと感じます。


フレッド アーボガストは脱サラしてフレッド アーボガスト社を設立した!

爆発的な成長を遂げたアメリカのタイヤ業界にも陰りが見え始めます。1920年代のアメリカのタイヤ業界は、まさに変革の時代でした。第一次世界大戦後の不況の影響を受け、多くの企業が苦境に立たされました。グッドイヤー社も例外ではなく、生産本数の急減と資金難により、銀行の管理下に置かれることとなりました。この困難な時期を乗り越えるため、同社は資金を再調達し、従業員数を大幅にリストラするなどの再建策を進めました。

引用 プラドコ

そんな厳しい時代の中で、フレッド アーボガストは新たな道へ活路を見出す為に、1924年頃からルアーを作り始めます。そして1925年にはパーウェルストリートにある自宅でルアーの販売を始めます。

最初に作ったルアーには諸説ありティン・リズ・ミノーが最初に作ったルアーではないかと考えられていたり、1926年の6月にハンティング&フィッシングという雑誌に広告が掲載されているスピンテール・キッカーが最初のルアーという説もあります。

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スピンテール キッカー

1926年にフレッド アーボガストはグッドイヤーを退社し1930年にアクロン市の工場を収得して、フレッドアーボガスト社を設立させます。

最初はパートタイムの従業員を雇って事業を開始します。会社は2階建てでフレッドアーボガストが改装して工場とオフィスを作ったようです。

1936年にハワイアン ウィグラーを発表し1938年にはラバースカートの特許を取得します。

会社を立ち上げた時には父親のサポートがあったようでルアーのテストを手伝ってもらったり、元は弁護士だったので会社の業務も手伝ってもらっていたようです。1946年までには従業員数が200人~300人まだ拡大していたようです。


失敗は成功のはじまり! 傑作ルアージッターバグの誕生!!

フレッド・アーボガストは、釣りルアーの世界において、その名を不朽のものにした人物です。1940年、彼はノイジールアーの代表格であるジッターバグの特許を取得しました。このルアーは、当初はフローターダイバーとして開発される予定でしたが失敗します。

その時に作ったリップを10年近く机の引き出しに締まっていた物を友人が見つけアイディアを出して合って偶然にもジッターバグが誕生しました。このルアーは、そのユニークなデザインと効果的な釣果で、すぐに釣り愛好家の間で話題となりました。

ジッターバグのパテント

ジッターバグの成功は、アーボガストの創造性と革新性の証です。彼は、失敗を成功に変える能力を持っていました。ジッターバグは、その独特なカップ形状のおかげで、水面を動き回りながら独特の音を出すことができ、これが魚を引きつける重要な要素となりました。

ジッターバグの誕生は、トップウォータールアーの歴史にとってとても重要です。アーボガストの革新的なアプローチは、今日のバスルアー業界に多大な影響を与えています。彼の遺産は、バスアングラーにとって永遠のインスピレーションとなっており、ジッターバグは今なお多くの釣り人に愛用されています。

ジッターバグのセールスは凄かったようで、会社を更に大きくする起爆剤になりました。ジッターバッグは弁護士であった父親の助言で、特許を申請した事で特許が切れるまでの間は独占的な販売が可能でした。

その後、1941年にはフラホッパーを発表し、1946年にはHawaiian Wigglerに似たSputterfuss(スパッターファス)を発表します。

しかし、1947年の冬、アーボガスト氏はスケートリンクで心臓発作により54歳で亡くなりました。彼の死は釣り界に大きな悲しみをもたらしましたが、彼の遺した革新的なルアーや釣りへの情熱は、今もなお多くの人々に受け継がれています。

フレッド アーボガスト氏の物語は、困難を乗り越え、情熱を追求することの大切さを私たちに教えてくれます。彼の遺産は、釣り具の進化とともに、未来へと続いていくでしょう。


おわりに

今回のバスフィシング界の偉人はフレッドアーボガスト氏をご紹介しました。一般の会社員からルアーメーカーを立ち上げた人なので、会社員のアングラーにも親近感が湧く人ではないでしょうか!

また、フレッドアーボガスト氏もリストラを経験されているので、ピンチをチャンスに転換する行動力は見習うべき点が多いように感じました。

フレッドアーボガスト氏に関する書籍は英語の書籍ですがkindle unlimitedで読むことが出来ますので興味のある方は読んでみて下さい。

フレッドアーボガスト氏に関する情報は「アメリカンルアーの歴史と起源」にも紹介しています。下記のリンクから購入する事ができますので、よろしくお願いします。

バス釣り界の偉人!フレッドアーボガスト・カンパニーの歴史!の記事があなたのバスフィッシングライフのサポートになれば幸いです。

では!! よい釣りを(^O^)/


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