リー・シッソン氏は、クランクベイトのデザインで知られる人物で、バグリーベイトカンパニーのルアーデザインを手掛けたことで有名なルアーデザイナーです。
彼のデザインしたルアーは、バス釣り愛好家の間で高い評価を受けており、その中でも「テネシータフィー」は特に人気があります。
このルアーは、障害物を避けながらも安定した動きをすることで知られており、多くのバスフィッシャーマンに支持されています。リー・シッソンのルアーは、独創的なデザインと機能性の高さから、今でも多くの人々に愛され続けています。
コフィンリップと呼ばれる特徴的な形状のリップが障害物回避性能に寄与していると評価されています。また、日本のバスアングラーの間では、1990年代初めにバルサクランクが流行したという歴史もあり、レア度や釣果に関しても高い評価がされています。
では!! クランクベイトの革命児!リー・シッソンとはどの様な人物か?の始まりです(^O^)/
バス釣りを始めた切っ掛けはNFLの名プレーヤー!テリー・ブラッドショー
ルイジアナ州の弁護士の息子として誕生したリー・シッソン氏は、バトンルージュの高校時代、既にフットボールではスター選手だったそうです。子供の頃は釣りとは無縁の生活を送っていたそうで、アメリカンフットボールに夢中に取り組んで、大学はアメリカンフットボールの名門のルイジアナ州立工科大学へ進学します。
大学時代のチームメイトの中にいたテリー・ブラッドショー氏と出会います。このテリー・ブラッドショーという人物は1970年から1983年までの14シーズン、NFLのピッツバーグ・スティーラーズでクォーターバックとして活躍しました。スーパーボールで4回もチームを優勝に導いた歴史上3人のクォーターバックの一人であり、1989年にプロフットボール殿堂入りを果たした人物です。
テリー・ブラッドショーは大のバス釣り好きな方で、あのビル・ダンスとも親しい友人です。そんなテリー・ブラッドショーが、練習のオフ日にリー・シッソンを誘いバス釣りに行ったことが切っ掛けで釣りにハマっていきます。
更に釣果をあげる為に市販のルアーの改造は元より、バス釣りの知識を得るためBASSの会員になりバスマスターマガジンを読みあさってはフィールドに出って検証し更に疑問が出てくるとフィッシングショーに出向きバスプロに意見を求める等の努力をしていたそうです。
リー・シッソン氏は、ダルボンヌ湖やアチャファラヤ盆地などのルイジアナ州の水域で釣りを楽しんでいましたが、彼は自身が使っているハードルアーが約6フィートより深く潜ることができないことを認識し、6フィートより深く潜るハードルアーの構想を考え始めます。
面接時間15分で採用決定! バグリーベイトカンパニーに入社する!
いつしか夢はバグリー社で働く事がリー・シッソン氏の夢になっていきます。大学卒業間際にバトン ルージュ市でフィッシング ショーが開催されます。
このフィッシングショーにジム・バグリー社長が来る事を知り、リー・シッソンはジム・バグリー氏に会いにいきます。
ジム・バグリー氏を見つけて15分程、話をするとジム・バグリー氏からバグリーベイトカンパニーで働かないかと持ちかけられリーシソンは即答で入社の返事をします。
ジム・バグリー氏は家族に相談しなくてもいいのかと聞くと、リーシソンはボクの夢はバグリー社に入社することと家族には話していますので家族は喜んでくれますと答えたそうです。
ジム・バグリー社長は従業員を即決で採用する事が何度かあったそうで、ヒロ内藤さんにリー・シッソン氏について伺った時にバグリー社長の採用基準が面白いと言う話が聞けました。
ある日、バグリー社長が今日からウチで働く事になったから皆よろしくと言って大柄な男の人が入社しました。この人の前職の経歴を聞いても分からず、仕方がないので会社のヘリコプターが置いてあるガレージで台車のペンキ塗りをさせました。
しばらくすると、工場長のもとにペンキが切れたと男は来たので、あれ?ペンキの量十分だったと思いながら新しいペンキを渡しました。また、しばらくして男がペンキが切れたと言ってきたので、これはおかしいと思い見に行くと刷毛を使って塗らずに台車にペンキをぶっかけていたそうです。
社長が大事にしているヘリコプターにもペンキが掛かっていて、結局この男の人はクビになるのですが、採用理由を社長に聞いた所、大きなタイヤを担いでいたので力持ちなので使えると思い雇ったと言うから驚きです。「そんな大きなタイヤなら転がして移動するよね」っと内藤さんはボクに話してくれました。
ディープウォーター・フィッシングの革命ダイビングBをデザインする!
バグリー社に入社したリーシソンは23歳でダイビングBシリーズをデザインし、ディープウォーター・フィッシングへのアプローチに革命をもたらします。
70年代初頭にスクエア・ビルクランクベイト、バルサBのラインナップで大成功を収めたバグリー社は、1975年に3サイズのダイビングBを発表します。
Divin’B1は最も小さく、Balsa B1と同じブランクを使用しました。 同様に、Divin’B2はBalsa B2ボディを使用し、Divin’B3はBalsa B3ボディを使用した。
特にDivin’B3は、バグリー・ベイト・カンパニー史上最も成功したルアーの一つとなりました。 ディープ・ダイビング・バージョンで登場した最初の 「アルファベット・クランクベイト 」ルアーのひとつで、バグレー独自の 「チューニング・ボタン 」も備えていました。
この時代のディープクランクは泳ぎが安定していないモノが多くパッケージから出してチューニングする必要があったそうです。その煩わしさを解消する為にバグリー独自の 「チューニング・ボタン 」が、「divin’B 」に搭載されており、ルアーを製造する過程で事前に調整することで、釣りをしている最中にルアーを調整したり、「チューニング 」する必要がなくなりました。
リー・シッソン氏による最も大きな貢献のひとつは、1970年代後半のマスキー用ルアーの開発です。ノーザン・マスキーやパイク・アングラーにアピールするルアーを作るようジム・バグリー氏に命じられたリー・シッソンは、バング・オー・BやB-フラットなど、機能として革新的であっただけでなく、大会でも成功を収め、スポーツ・フィッシングという実用的な場でその価値を証明されました。
1979年には美的魅力と機能性を両立させるスモールフライ・シリーズやソルトルアーなどを手がけますが、ジム・バグリー氏とルアーデザイン等の問題で意見が分かれるようになり、バグリー社長が日本へ出張に出ている時に起こった出来事が大きな問題になり12年務めたバグリー社を退職します。
バグリーベイトカンパニーから独立しリー・シッソン・ルアーズを立ち上げる!
その後は独立してリー・シッソン・ルアーズを立ち上げてテネシータフィーなどのルアーを世に送り出します。また、63歳にしてエリート・シリーズのルーキーとしてトーナメントにも挑戦します。
リー・シッソンのクランクベイトは、彼の革新的精神とバスフィッシングへの深い理解を如実に物語っています。彼のデザインした、特にディープ・ダイビング・クランクベイトは、フィッシング業界に高い基準を打ち立てました。
最高級のバルサ材から作られたこれらのルアーは、その浮力と耐久性で沢山のアングラーに比類なきパフォーマンスを提供してきました。
彼のルアーは精密にデザインされ、リップ、ワイヤー、ウエイトの配分が水中で完璧なアクションを生み出すように細心の注意が払われ、リー・シッソンの作るクランクベイトは単なる釣りの道具ではなく、それぞれの作品には歴史に裏打ちされた隠された職人技に感謝する愛好家のためのコレクターズアイテムにもなっています。
リー・シッソン・ルアーズは2007年に売却されましたが、彼のデザインしたルアーは受け継がれ、彼のクランクベイトは釣り人からもコレクターからも引っ張りだこです。
トーナメント競技を引退した後は、バグリー・ベイト・カンパニーのコンサルタントとして業界に影響を与え続けています。
おわりに
最後までお読みいただきありがとうございます。クランクベイトが好きな方でしたらリー・シッソン氏はとても重要なクランクベイトに関するキーマンではないでしょうか?
60代になってからエリートプロとして参戦したりするバイタリティーは人生の先輩として見習って行きたいと感じましたね。
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クランクベイトの革命児!リー・シッソンとはどの様な人物か?の記事があなたのバスフィッシングライフのサポートになれば幸いです。
では!! よい釣りを(^O^)/
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