「ブライアン・カーチェル」一般アングラーに夢を与えた男!

バスフィッシングの偉人達

BRYAN KERCHAL(ブライアン・カーチェル)氏は、アマチュア選手として初めてスター揃いの第24回バスマスター・クラシックでタイトルを獲得し、何十万人もの週末アングラーに夢を与えた人物です。

彼は、B.A.S.S.全米予選を勝ち抜いた最初の、そして現在までのところ唯一のアングラーであり、この栄冠と賞金5万ドルを手にした最初の北東部アングラーでもあります。

しかし、残念ながらBassmasterClassicを優勝した5カ月後にブライアン・カーチェル氏は飛行機事故で亡くなります。

今回は流星の様に現れて消えて行った若きクラシックチャンピオン、ブライアン・カーチェル氏を紹介します。

では!! 「ブライアン・カーチェル」一般アングラーに夢を与えた男!の始まりです(^O^)/


1971年、コネチカット州からブライアン・カーチェルが誕生!

1971年にコネチカット州のニュータウンで育ったブライアン・カーチェル氏は、隣人の紹介でバスフィッシングに目覚めます。ホウサトニック・バレー・バスマスターズ・クラブに入会するまでは、独学でバス釣りを学んでいたそうです。

ブライアン・カーチェル

1971年と言えば、ラスベガス郊外のレイク・ミードで第一回、バスマスタークラシックが開催され、ボビー・マーレーがスピナーベイトパターンで優勝しました。その後、リック・クラン、ラリー・ニクソン、ケビン・バンダムなどのスター選手が誕生します。

1989年にニュートン高校を卒業した後に、マサチューセッツ州のセーラム州立大学に短期留学します。しかし、バスプロになる為に大学を中退し、グラウンド・ラウンド・レストランでコックのアルバイトをしながら、バスフィッシングへの情熱を追求しつつトーナメントへの参加資金を作り、自分のライフワークを見つけようとしていました。


1993年にアマチュアからバスマスタークラシックに初出場する!

B.A.S.S.加盟クラブを経由して、B.A.S.S.フェデレーショントーナメントに参加し、コネチカット・チームの12人のメンバーとして、B.A.S.S.全米選手権への出場権を獲得しました。バスマスタークラシックへの出場は、全米のアマチュア部門から勝ち上がった5地区のトップ選手にのみ与えられる権利です。アマチュアとして出場するためには、B.A.S.S.の60万人の会員の中からトップ5に選ばれるという、非常に厳しい選考を通過しなければなりません。

そんな厳しい戦いを制したブライアン・カーチェル氏は、イースタン・ディビジョンのトップ・アングラーとして活躍し、アラバマ州のローガン・マーティン・レイクで開催される1993年のバスマスター・クラシックへの出場権を獲得したのでした。

しかし、1993年のバスマスタークラッシックでは、最下位に終わってしまいました。4度クラッシック・チャンプに輝いたリック・クランに1ポンド足らずの差をつけられます。


1994年 アマチュア選手として初めてBassmasterClassicを制する!

しかし、翌年の1994年もアマチュア大会を制してブライアン・カーチェル氏は2度目のクラシックへの挑戦権を獲得します。クラシックではトム・ビッフル、デニー・ブラウアー、ディオン・ヒブデン、ギド・ヒブデンの強豪がひしめく中、前日に降った大雨が増水と濁りをもたらし、そのため、湖にたくさんあるボートドックへのフリッピングがより有効な戦術となりました。

プラクティスは上手くいかず、偶然にレッドシャッドのカルプリット・リボンテール・ワームが湖に浮いているのを見つけたブライアン・カーチェル氏は、これをヒントに失うものはほとんどないと判断し、このワームで釣る事に決めます。

リグは3/16オンスのシンカーと2/0フックをセットしたテキサスリグで、セカンドクリークの3つのドックにピッチングで攻めて、カーチャルは3連続リミットメイクしました。

クラシックで優勝した時のショット

トーナメント中は友人から幸運の笛と言って貰ったバスの形をした笛を、バスを釣る度に鳴らしてクラシック会場で笛の音を響かせるパフォーマンスは、ブライアン・カーチェル氏のトレードマークになりました。

彼は初日を4位で終え、2日目にトップに立ち、最終日には、ベテランのトミー・ビッフルが良いサイズをキャッチして優勝を狙ったが、最終的にブライアン・カーチェルの釣果に3オンス及ばなかった。

3日間、バックリッミトを釣ってきたのはブライアン・カーチェル氏だけでした。こうして、アマチュア選手が見事プロ選手を相手にクラシックの優勝を勝ち取ります。

優勝記者会見では、バイト先のオーナーや友人に感謝を述べ、今回の優勝でハンバーガーを焼かなくても釣りに行けると話していたそうです。


1994年12月13日の悲劇 ブライアン・カーチェル23歳で死去

しかし、Bassmaster Classicを優勝した5カ月後にラングラージーンズのプロモーションのために搭乗したアメリカン・イーグル3379便が墜落し、彼を含む14人が命を失いました。1994年12月13日の悲劇で、墜落現場からは彼が友人から受け取った笛が発見されたと言われています。

幸運の笛のレプリカ

残された家族はブライアン・カーチェル基金財団を設立して幸運の笛のレプリカの売り上げを子供たちが釣りに接する為の支援に使われています。

1995年のクラシックでは、彼のトロフィーを載せたバスボートがアリーナを走り、B.A.S.S.ナショナル・チャンピオンのトロフィーは、その後ライアン・カーチェル・メモリアル・トロフィーと改名された。


ブライアン・カーチェルの死後に続く挑戦者たちの物語

アマチュア選手がBassmasterClassicを制する夢は、ブライアン・カーチェル氏の優勝からわずか3年後にダルトン・ボボによって再び実現されそうになった。1997年のクラッシックでは、4オンスのデッドフィッシュペナルティを受けた後、1オンス差でディオン・ヒブドンに敗れてしまいます。

2014年、同じくコネチカット出身のネイション・チャンプの、ポール・ミューラーはクラシック史上最大のビッグバッグを記録しましたが、レイク・ガンターズビルで2位に終わり、タイトルまであと1匹、1ポンド届きませんでした。

ブランドン・パラニュークは、ブライアン・カーチェル氏の物語にはとてつもない足跡が残されていると考えている。

「クレイジーなことに、彼の優勝は、彼が優勝した年だけでなく、はるか彼方まで力を及ぼした。多くの選手は、その勝利の記憶が翌年の優勝者によって消されてしまう。あの優勝は、決して帳消しにされることのない唯一の優勝のひとつだ。なぜなら、彼は今日に至るまで、B.A.S.S.ナショナル・チャンピオンの中で唯一タイトルを獲得しているからだ。」


おわりに

最後までお読みいただきありがとうございます。ブライアン・カーチェル氏は1971年生まれでボクと同じ年なので、親近感が湧くアングラーです。タイトルを取った事が死期を早めたように感じてしまいますが、近しい人はクラシックウィナーに成ったのはベストなタイミングだったと語られています。

アマチュア選手が優勝する事でどこかのクラブのガキが上がってきて、俺たちのケツを蹴り上げるんだと悪口を言う人も居たようですが、そんな中、リッククランは称賛していたそうで、カーチャルの葬儀では弔辞も述べたそうです。

ボクはX(旧Twitter)でもバスフィッシングの情報を発信しています。記事を読んで興味を持ってもらえたら「X(旧Twitter)のフォローやいいね!」を頂けると今後の活動の励みになります。また、記事の感想などがあれば、お問い合わせフォームからコメントして下さい。

「ブライアン・カーチェル」一般アングラーに夢を与えた男!の記事があなたのバスフィッシングライフのサポートになれば幸いです。

では!! よい釣りを(^O^)/


コメント

タイトルとURLをコピーしました