今回のバス釣り界の偉人はBerkley and Companyの創立者でその後、ピア・フィッシング社へと事業を拡大させる事に成功した。バークレイ ウォーレン べデル氏です。
世界恐慌という大変な時代に16歳の高校生で起業し友人を束ねて経営をこなすスーパー高校生がバークレイ氏です。その後は第二次世界大戦で大学生活も事業も奪われ陸軍の兵士として過ごします。
助かった命を次は事業の再建に注ぎ、その後は実業家ら政界へ進み市民の為に政治家としても働く経歴を持つのが、バークレイ ウォーレン べデル氏です。
では! 「釣り具業界から政治家へ!」 バークレイ べデルの生涯を学ぶ!の始まりです(^O^)/
「Berkleyの歴史!」1921年 バークレイ ウォーレン べデルの誕生
バークレイ ウォーレン べデル(Berkley Warren Bedell)は1921年3月5日オハイオ州のピリットレイク市で生まれます。子どもの頃から釣りが好きでフライフィッシングを楽しんでいたようです。
自身でもフライを巻くのですが、バークレイが巻くフライが釣れると評判になり1937年に6月に大恐慌の中高校1年生で自宅2階のベッドルームを作業場にしてBerkley Fly Co.を設立し釣具店や休暇で訪れているアングラー向けに売り始めます。
Stubby という自分の飼い犬から取った毛や裏庭で飼っていた鶏の羽などを組み合わせて、地元の湖のブルーギルやバスなどを魅了するフライを作り出していったのです。
開業資金は新聞配達などで貯めた50ドルを元手にスタートします。同級生の中からフライを巻くが上手い友人を集め会社は成長していきます。
1939年のスピリット・レイク高校を卒業する頃には自宅で行っていたフライビジネスは地元の女性を数名雇用し作業場は地下室やリビングも占領する程になります。
また、ワイヤーリーダーなど他の釣具も扱うようになったので手狭になり、近所のスーパーマーケットの2階に店舗を移します。
将来の事も考えて1940年から3年間、アイオワ州立大学に通います。大学生活でエリナー・ヒーリーと出会いバークリーとエリナーは1943年8月29日にミネアポリスで結婚します。
しかし、第二次世界大戦が始まり、大学生活と私生活は中断し陸軍に入隊します。終戦の1945年に地元スピリット・レイクに戻り会社名をBerkley and Companyに変えてビジネスを再開します。
1959年にバークレイが作り出したナイロンライン トライレーンが誕生
ある晩、バークレイ氏が『ポピュラー・サイエンス』誌を読んでいるとデュポン社がヨット用のナイロンコーティングを施したワイヤーを販売している事をバークレイ氏は知ります。
それを自社が取り扱う釣具のワイヤーリーダーに取り入れられないかデュポン社に交渉し成立します。それが、ハートマークのロゴで知られるSteelon leaderです。
さらに、バークレイ氏はワイヤーの無いナイロンラインを作りたいと考えます。当時デュポン社はウォーレス・カローザス氏が作り出したナイロン素材で独占販売していました。
バークレイ氏はデュポン社にライセンス料を払ってライン部門に参入していきます。バークレイ社は自社でナイロン・ラインの製造が出来るように機械の開発をはじめます。ナイロンラインの製造装置のプロトは、洗濯機や自転車の車輪の部品などを流用し作られたモノでした。
1959年にデュポン社がストレーンを発売したのとほぼ同時にBerkley and Companyからナイロン素材のフィッシングライン、トライレーン(Trilene)を市場に送り出すことに成功します。
1960年代にはロッド、1980年代にはソフトベイトなどの事業にも進出し、Trilene,Fireline,PowerBait, Gulp! ,Havocなどを抱える世界の主力ブランドのひとつになっていきます。
バークレイのラボにはキース・ジョーンズ博士が在籍していた!
バークレイは巨額な費用を投じて建設したラボが凄いです。この研究室は釣れるタックルを生み出すバークレイの自慢のラボだそうです。研究室では、世界中の各種のゲームフィッシュが専用の水槽で飼育され、長期間にわたって魚を観察し魚の行動や習性を分析します。
ラボにはルアーを動かすロボットやキャスティングによるテストを行うための巨大なプールがあり、プール側面からルアーの動きを確認する事ができます。
また、ラボには2002年に出版されたKnowing Bassの著者でもある、Dr. Keith Jones氏も研究に参加されていました。Dr. Keith Jonesを知らない人の為にDr. Keith Jones氏はどの様な人物か説明します。
Dr. Keith Jones氏の初期の仕事のひとつは、魚のテストを開始するためのラボを設立することでした。アイオワ州天然資源局との協力協定により、水源、タンク、器具が提供されて作業が開始された。
孵化場では強力な嗅覚能力を持つ魚種として知られるマスやナマズが容易に入手できるため、これらの魚が最初の研究対象になりました。この研究はバークレー・ストライクの初期の成果です。
1988年にスピリット・レイクにあるバークレー本社のラボに移行しました。その後の10年間、Dr. Keith Jonesは研究スケジュールを管理を行い、研究室とルアーのテスト施設はお客へ釣れるルアーを送り出すために拡張されていきました。
研究から生まれた製品には、トラウトベイト、パワーベイト、ガルプ!、マックスセントなどがあります。現在は32年間勤めたバークレイのラボを離れて釣りを楽しまれているようです。
1974年にバークレイさんは実業家から政治家になって頑張っていた!
バークレイ べデル氏はBerkley and Companyの事業の成功後に政界を目指します。1972年に下院議員選挙に出馬しましたたが、現職のワイリー・マインに敗れたます。1974年にベデルはメインを破って民主党の下院議員に当選しました。
バークレイ氏の政治家としての仕事は定期的に有権者とのタウンホールを開き、有権者のために議会で何をするかを決める動議を有権者に投票させて問題を明確にし、有権者とのコミュニケーションによって、農業有権者に影響を与える問題を知ることになります。
こうして、自身は生涯農業を営むことはなかったですが、農民のために議会で働いたそうです。バークレイ氏はベトナム戦争反対派で米国のイラク軍事介入に反対する請願書に署名しました。その他にも様々な仕事を政治家して行いアイオワ州では重要な政治家であり続けたそうです。
1975年から1987年までアイオワ州第1選挙区のアメリカ合衆国下院議員を務めましたが、1986年バークレイはマダニに噛まれ罹ったてライム病に罹ったため再選を目指さなかったそうです。しかし、アイオワ州政界では活動を続けられたそうです。
おわりに
Berkley and Companyは更に事業を拡大していき、1988年以降にはフェンウィック社、ミッチェル社そしてスパイダーワイヤーなどのブランドを吸収しピア・フィッシング社へと昇華させます。
2004年にはライバル会社のデュポン社のフィッシング・ライン部署のストレーンも傘下に収め、その後はシェイクスピア社と合併しペンリール、オールスターロッド、フルーガーなどの有名ブランドも傘下に収めます。
2007年にバークレイ ウォーレン べデルの息子、トム ベデル氏はジャーデン・コーポレーションに4億ドルで買収されるまで、バークレイ ウォーレン べデルが設立したピュア・フィッシング社を30年間経営していきました。
ベデルは2019年12月7日、3日前に発症した脳卒中の合併症によりフロリダ州ネープルズで98歳で死去します。釣り好きの学生が大恐慌や戦争を乗り越えて作り出した会社がピア・フィッシング社だったんですね。
今回のバスフィッシングの偉人たちの記事が、あなたのバスフィッシングライフを満足させるモノになれば幸いです。
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