伝説のルアーブランド「ワッパーストッパー」創業から終焉!

ルアー&タックルの歴史と起源を探る

バスフィッシングを楽しまれているアングラーの皆さん、こんにちは。今回の「釣りたいバス釣り日記」では、ヘルレイザー、ヘルベンダー、バイユーブギといった名作ルアーを世に送り出した伝説的ルアーメーカー、Whopper Stopper(ワッパーストッパー)社の歴史を紐解いていきます。

バスフィッシングの歴史を振り返ると、時代を象徴するいくつものブランドが、まるで夜空に輝く星のように現れては消えていきます。その中でも、ひときわ強烈な個性を放ち、今なお多くのアングラーの想像力を刺激し続けている存在――それが、Whopper Stopper社です。

「Whopper(巨大な獲物)をStopper(止める)」という、あまりにも挑戦的で大胆なネーミングを冠したこのブランドは、単なるルアーメーカーの枠を超え、アメリカ・ルアー産業における技術革新と、複雑に絡み合う企業買収の歴史を象徴する存在でもあります。

本記事では、一人の石鹸セールスマンの野心から始まった物語を起点に、ボーマー社ルアーの模倣期を経て独自のオリジナルルアーへと昇華していく過程、さらに科学的アプローチの極致とも言える「カラー・セレクター」とのコラボ、そして巨大資本プラドコ(PRADCO)傘下へ至るまで――40年以上にわたるWhopper Stopper社の波瀾万丈な企業史を、余すことなく網羅的に紹介していきます。

では!! 伝説のルアーブランド「ワッパーストッパー」創業から終焉!、の始まりです(^O^)/


  1. 1945年にJ. フレッド・エダーがワッパーストッパー社を創立させる!
    1. 1945年の産声:5,000ドルからの挑戦
    2. 設計の革新:ボーマーへの敬意と「ハート型」の独創
    3. 成長と継承:テキサスから全米へ
  2. 深き「血統」の謎 ―― PIGGY PERCHから始まったバイブレーションの源流
    1. PICO社と「ピギーパーチ」の誕生
    2. デイブ・ホークと「謎の双子」
  3. ヘルベンダー(Hellbender)の歴史:正統なる血統と深層の覇者
    1. 開発のルーツ:ボーマーへの対抗と「J. フレッド・エダー」の昇華
    2. 創業者の情熱と「ハート型リップ」の魔法
    3. プラスチック射出成形への革命
  4. シャロー攻略の金字塔「クラップシューター」
  5. 理論と科学の時代 ―― 1970年代〜1980年代
    1. ストラクチャーフィッシングの父「バック・ペリー」との邂逅
      1. 設計思想としてのスプーンプラッギング理論
      2. 「ストラクチャー」を中心に据えた製品解説
      3. 教育メディアとしてのカタログ
    2. 科学的釣法の確立:ワッパーストッパー社とローレン・ヒル博士による「色彩革命」
      1. 提携の背景:動物学的アプローチによる「視覚の解明」
      2. 技術の実装:カラー・C・レクターという「意思決定デバイス」
      3. 歴史的意義:マーケティングと教育の融合
    3. 運を排除し、論理で魚を手にする
  6. 激動の買収劇:ヘドンからPRADCOへの通過点
    1. ワッパーストッパー社 買収・権利変遷のタイムライン
    2. 補足:歴史的なポイント
    3. ブランドの終焉と「ヘルベンダー」の生存
    4. パッケージの変遷とブランドの終焉
  7. おわりに

1945年にJ. フレッド・エダーがワッパーストッパー社を創立させる!

創業者の**J. フレッド・エダー(J. Fred Eder)**は、元々は石鹸や自動車を販売する熟練のセールスマンでした。彼の運命を変えたのは、近隣のボーマー・ベイト・カンパニーへの訪問でした。

当時のテキサスやオクラホマで普及し始めていた深いダム湖において、ボーマー社のルアーが「コンタクト・キング」として君臨する姿を目の当たりにしたエダーは、その機能性に魅了され、自らの手で理想のルアーを形にする決意を固めました。

1945年の産声:5,000ドルからの挑戦

エダーは自ら木を削り、フィールドテストを繰り返しました。彼が作った試作ルアーを友人たちが手にすると、次々に大物が釣り上げられ、その実力は瞬く間に証明されました。

確信を得たエダーは1945年、5,000ドルの資金を投じ、信頼を寄せる3人の仲間(アール・ノーブル、フレッド・テイラー、ジョディ・グリッグ)と共に、自動車代理店の2階の小さな一室でワッパーストッパー社を設立しました。

設計の革新:ボーマーへの敬意と「ハート型」の独創

エダーの最大の功績は、既存の名作に対する「独自の解釈」にありました。彼はボーマーのデザインをベースにしながらも、その心臓部に決定的な違いを加えました。ボーマーの丸型リップに対し、エダーが採用したのは**「ハート型のダイビングリップ」**でした。

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この独創的な形状は、より深い潜行能力と、複雑なボトムの障害物をなめるように回避する性能を両立。これが後に世界中のアングラーを驚かせる名作「ヘルベンダー」の礎となったのです。

成長と継承:テキサスから全米へ

エダーの卓越した商才と設計思想により、会社は急速な拡大を遂げます。1949年には従業員を17名まで増やし、量産体制を整えるための専用社屋を建設しました。

その後、経営権は**ダニエル・エンロー博士(Dr. David Enloe)**へと引き継がれます。エダーが築いた「独創的な設計」という魂は、エンロー博士の手によってプラスチック射出成形という近代技術と融合し、全米の市場を席巻する巨大ブランドへと成長していきました。


深き「血統」の謎 ―― PIGGY PERCHから始まったバイブレーションの源流

Whopper Stopper(ワッパーストッパー)社の歩みを語る上で、避けて通れないのが「バイユー・ブギ」に代表されるリップレスクランクベイトの系譜です 。

そこには、前身であるPICO社の「ピコ・パーチ」から始まり、ヘドン、そしてプラドコへと引き継がれていき、数多のメーカーの思惑が絡み合う複雑怪奇な権利と起源のドラマが秘められています 。

PICO社と「ピギーパーチ」の誕生

バイブレーションの歴史は、1928年のテキサスに遡ります。PICO社のフレッド・ニコラスが開発した**「PIGGY PERCH(ピギーパーチ)」**こそが、このカテゴリーの最古の先駆者でした。その5年後の1933年には、名作「ピコ・パーチ」が誕生します。

ピコパーチの変遷を辿る上で避けて通れないのが、ワッパーストッパー社への継承と「バイユーブギ」への改名というプロセスです。そこには、単なる製品の進化を超えた、複雑怪奇な権利と起源の物語が秘められています。

デイブ・ホークと「謎の双子」

1950年代、この歴史に**デイブ・ホーク(Dave Hawk)**という人物が登場します。彼はルイジアナ州のA.D. Manufacturing社(アンソニー・D・アンナが「バイユー・ブギ」を開発したとされる会社)を買い取り、さらにPICO社も買収しました。

引用 BASS FISHING ARCHIVES ワッパーストッパー社のカタログ
  • バイユー・ブギ vs ピコ・パーチ: この二つのルアーは、外観が**「瓜二つ(spitting image)」**でした。
  • 歴史的ミステリー: どちらが先にデザインを考案したのか、あるいはオーナーであるホークが意図的に統合したのか。専門家の間でも現在進行形で**「謎」**とされています。

この「同じ親(デイブ・ホーク)に育てられた双子のようなルアー」の権利をWhopper Stopper社が買い取ったことで、バイブレーションの血統は一つの家系へと合流したのです。


ヘルベンダー(Hellbender)の歴史:正統なる血統と深層の覇者

開発のルーツ:ボーマーへの対抗と「J. フレッド・エダー」の昇華

ヘルベンダーの物語は、1940年代後半、Whopper Stopper社の創業者**J. フレッド・エダー(J. Fred Eder)**の挑戦から始まります。

ワッパーストッパー社のカタログ
  • 独自の改良: エダーは当時絶大な人気を誇ったボーマー社のルアーを参考にしつつ、独自の改良を加えました。より深く、より激しくボトムを叩くための設計変更を施し、単なる模倣を超えた「ディープクランクベイト」としてヘルベンダーを誕生させたのです。
  • 権利の正統な集約: ヘルベンダーの設計思想の源流については、ルイジアナ州の**A.D. Manufacturing社(アンソニー・D・アンナ)**が元祖としての自負を持っていました。しかし、Whopper Stopper社は後に同社の権利を正式に取得・統合します。これにより、バイユーブギと並び、ヘルベンダーもまたWhopper Stopper社の正統な看板製品としての地位を確固たるものにしました。

創業者の情熱と「ハート型リップ」の魔法

エダーが生み出した最大の発明は、**「ハート型リップ」**です。この独特な形状により、以下の二つの相反する性能を両立させました。

  • 急速な潜行能力: 誰よりも早くディープへ到達する。
  • 高い障害物回避性能: 独自の「フリップアクション」で根掛かりを回避する。

プラスチック射出成形への革命

ルアー製造がまだ職人の勘に頼っていた1950年代初頭、工場長ジョディ・グリッグ率いるWhopper Stopper社は、プラスチック射出成形という未知の領域へ舵を切ります。

この決断が、個体差のない「完璧な浮力」と、バスを狂わせる「ラトルサウンド」という強力な武器を同社にもたらしました。この技術革新こそが、同社を全米規模のトップメーカーへと押し上げる原動力となったのです。


シャロー攻略の金字塔「クラップシューター」

歴史の荒波を越えて愛される名作、「クラップシューター(Crapshooter)」。このルアーを語ることは、バスフィッシングの黄金時代を語ることと同義かもしれません。

かつてホッパーストッパー社が放ったこのクランクベイトは、名機「ヘルベンダー」の血統を継ぎながら、シャロー(浅場)攻略という新たな使命を帯びて誕生しました。特に1979年、写実的な「フォトフィニッシュ」塗装を纏って登場した姿は、当時のアングラーたちに強烈なインパクトを与えました。

その最大の特徴は、不格好なまでに突き詰められた**「超低重心設計」**にあります。ボディの底にウエイトがせり出した独特のフォルムは、すべては水中の障害物を攻略するために計算されたもの。ひとたび水に放てば、スクエアリップが岩や倒木を叩いて「パン!」と身を翻し、次の瞬間にはその強靭な体幹でピタリと姿勢を立て直します。

その姿はまるで、激しい着地を決めた直後に何事もなかったかのように演技を再開する、不屈の体操選手のようです。

ワッパーストッパー クラップシューターの広告

名前の由来もまた粋なものです。ダイスゲーム「クラップス」でサイコロを振る者。ボードの上で予測不能に跳ね回るダイスの躍動感を、このルアーのトリッキーなアクションに重ね合わせたのです。

1980年代の日本、アシ際や石積みが続くタフなフィールドで、多くのアングラーがこの「博打打ち」に信頼を寄せました。後にホッパーストッパー社がヘドン社に吸収された際、旧パッケージにヘドンのステッカーを無理やり貼って出荷されたというエピソードも、このルアーが時代を跨いで求められ続けた証と言えるでしょう。

テールに揺れる小さなブレード、そしてあえて交換のしやすさを捨ててまでトラブル回避にこだわった直付けのフック。細部に宿る設計思想は、現代のルアーたちにも多大な影響を与え続けています。

クラップシューター――それは単なる道具ではなく、障害物に果敢に挑み、決して倒れないという「意志」を感じさせる、唯一無二の表現者なのです。


理論と科学の時代 ―― 1970年代〜1980年代

Whopper Stopper社が他のルアーメーカーと一線を画したのは、自社の製品を単なる「モノ」としてではなく、魚を追い求めるための**「論理的なシステム」**として提示した点にあります。

ストラクチャーフィッシングの父「バック・ペリー」との邂逅

ワッパーストッパー社(Whopper Stopper)と、「ストラクチャーフィッシングの父」として知られるエル・L・“バック”・ペリー(E. L. “Buck” Perry)との関係は、単なる影響や協力といった言葉だけでは語りきれないものがあります。両者は、釣りの理論とルアーという製品、そして教育とマーケティングが自然に結び付いた、非常に親和性の高い関係を築いていました。

設計思想としてのスプーンプラッギング理論

1960年代後半から1970年代初頭にかけて制作されたワッパーストッパー社のカタログには、バック・ペリーが著書『Spoonplugging』で体系化した理論が、随所に色濃く反映されています。

ストラクチャーフィッシング理論が解説されている

カタログの冒頭では、季節の移り変わりによる魚のポジション変化や、天候・水温に応じたルアーの使い分け、さらにポイントを探し当てていく過程までが丁寧に解説されており、その内容は単なる製品紹介の域を超え、バック・ペリー理論を実践するための手引きとして読むことができるものでした。

こうした点から見ると、ワッパーストッパー社はバック・ペリーの理論を単に「参考にした」のではなく、自社のルアー設計や考え方の中に自然な形で取り込み、ブランドの基盤として活かしていたことがうかがえます。

「ストラクチャー」を中心に据えた製品解説

同社の代表作であるヘルベンダー(Hellbender)の解説ページでは、ブレイクラインやドロップオフといった地形の変化、さらには狙うべきストラクチャーやカバーについて、具体的に触れられています。

こうした説明は、バック・ペリーが唱えた「魚はディープからシャローへ、一定のマイグレーション・ルートをたどって移動する」という考え方を、自社ルアーの使い方として分かりやすく落とし込んだものだと見ることができます。

ワッパーストッパーのルアーは、「投げれば釣れる道具」ではなく、理論を実行するための専用ツールとして位置付けられています。

教育メディアとしてのカタログ

とりわけ注目したいのは、ワッパーストッパー社のカタログが、一般的な製品カタログの枠を大きく超えた、教育的な内容を備えていた点です。その構成や文章、図解は、バック・ペリーが主宰していた釣り雑誌『Fishing Facts』の記事と非常に近いものがあり、ルアー名を伏せて読めば、そのままスプーンプラッギング理論を学ぶ教材として通用するほどの一貫性が感じられます。

こうした姿勢は偶然の産物とは考えにくく、ワッパーストッパー社がアングラーを単なる「顧客」としてではなく、理論を理解し、実践していく存在として捉えていたことの表れだと言えるでしょう。

「エルウッド バック ペリー氏」については、以下の記事で詳しく紹介しています。ストラクチャーフィッシング理論についても学ぶ事が出来る内容です。


科学的釣法の確立:ワッパーストッパー社とローレン・ヒル博士による「色彩革命」

1980年代、ワッパーストッパー社(Whopper Stopper)は、単なる釣具製造の枠を超え、動物学の知見を市場に投下することで、バスフィッシングを「経験の科学」へと昇華させました。その中核を担ったのが、オクラホマ大学の動物学教授、ローレン・ヒル博士(Dr. Loren Hill)との提携です。

提携の背景:動物学的アプローチによる「視覚の解明」

当時、ルアーの色選択はアングラーの主観や経験則に大きく依存していました。この不確実性を排除するため、ワッパーストッパー社はヒル博士を招聘。博士は数千回に及ぶ水槽実験を実施し、ブラックバスの網膜構造と光の屈折・拡散の関係を徹底的に分析しました。

その結果、「水の透明度(濁り)」と「光の強さ(照度)」の相関によって、魚が最も強く反応する特定の色彩が存在することを科学的に実証しました。

技術の実装:カラー・C・レクターという「意思決定デバイス」

この研究成果をアングラーが現場で即座に実行できるよう、同社は専用の電子機器**「カラー・C・レクター(Color-C-Lector)」**を開発しました。

  • 客観的データの収集: 水中にセンサーを投入することで、照度と透明度を数値化。
  • カラーコード・マッチング: 測定結果に基づき、計器がその状況下で「最も視認性の高い色」を指定。
  • トータル・プロダクト・システム: 同社は主力ルアー(ダーティーバード等)にシステム対応のカラーバンドを採用し、計測からルアー選択までを一貫したフローで提供しました。

歴史的意義:マーケティングと教育の融合

このプロジェクトも、単なる新製品の発売に留まらず、釣りのプロセスそのものをシステム化した点に真価があります。

  • プロによる実証: ビル・ダンスやジミー・ヒューストンといったトッププロが広告塔となり、論理的な釣りの有効性を全米に波及させました。
  • 環境分類の標準化: 水質を「Muddy(泥濁り)」「Stained(濁り)」「Clear(澄み)」の3層に定義し、それぞれに適した色彩理論を定着させました。

「ローレン・ヒル博士」については、以下の記事で詳しく紹介しています。この記事を読むことでブラックバスの視覚に関する研究について学べます。


運を排除し、論理で魚を手にする

「魚は季節と状況によって居場所を変える。ルアーはその深さに到達するための鍵である」この信念に基づき、Whopper Stopper社は多くのアングラーに「理論で釣る喜び」を教えました。

彼らにとって、ヘルベンダーやバイユー・ブギは単なるプラスチックの塊ではなく、**広大な水底の謎を解き明かすための「精密な測定器」**だったのです。


激動の買収劇:ヘドンからPRADCOへの通過点

ワッパーストッパー社の創業から、巨大資本であるPRADCO(プラドコ)に統合されるまでの買収と権利移行に関するタイムラインは以下の通りです。

ワッパーストッパー社 買収・権利変遷のタイムライン

年代・時期出来事詳細・背景
1945年会社設立フレッド・エダーがテキサス州シャーマンにて創業。
1950年代〜 1960年代初頭主要ルアーの権利取得A.D. Manufacturing社(またはHawk Lure社)から、後に主力製品となる**「ヘルベンダー」や「バイユー・ブギ」の権利を取得**。
1981年サン・ペトロリアムによる買収当時のオーナーであるジョディ・グリッグが、会社をサン・ペトロリアム(Sun Petroleum)社へ売却。
1983年初頭ヘドンによる買収ジェームス・ヘドン・サンズ(ヘドン)社がワッパーストッパー社を買収。
1983年末PRADCOへの統合ヘドン社自体がPRADCO(プラドコ)社に買収されたため、ワッパーストッパーの商標や金型もすべてPRADCO傘下となる。
1984年〜 1987年頃在庫整理とブランド移行ヘドン社がワッパーストッパー社の旧在庫パッケージに自社ラベルを貼り、**「Heddon Whopper Stopper」**として販売した移行期。

補足:歴史的なポイント

  • 権利の集約: 1950年代にデイブ・ホークという人物が、当時競合していたA.D.社とPICO社(ピコパーチのメーカー)の両方を買収しており、その後の1960年代初頭までにワッパーストッパー社がこれらの権利を一つにまとめ上げました。
  • ヘドンによる「ラベル貼り」販売: 1983年の買収直後、ヘドン社は新しくパッケージを作り直すコストを省くため、ワッパーストッパー社の既存の箱にヘドンのステッカーを貼って出荷するという珍しい手法を取りました。
  • 現在の形: 現在、ワッパーストッパーという独立したブランドは存在しませんが、その製品の一部(特にヘルベンダー)は、ヘドンブランドの一部としてPRADCO社から販売され続けています。

ブランドの終焉と「ヘルベンダー」の生存

1983年末、PRADCO社への統合により「Whopper Stopper」というブランド名は事実上消滅しました。

  • ラインナップの整理: 多くの独創的なルアー(ダーティーバードなど)が生産終了の憂き目に遭いました。
  • ヘルベンダーの継承: しかし、唯一無二の性能を誇った**「ヘルベンダー」**だけは例外でした。その金型と精神はヘドン・ブランドへと引き継がれ、今日まで「ヘドン・ヘルベンダー」としてその名を残しているのです。

パッケージの変遷とブランドの終焉

Whopper Stopperのパッケージは、その時代の経営状況とブランドの地位を雄弁に物語ります。

  • 1940s: 2ピースのクレイムシェル(貝殻型)ボックス。
  • 1950s-60s: 透明プラスチック蓋のカードボード箱。
  • 1970s: 象徴的な「イエローボックス」時代。
  • 1980s: ヘドン社買収後、ヘドンのタグが付いたブリスターパックへ。

1983年、名門ジェームス・ヘドン・サンズ社に買収され、同年さらにPRADCO社へと吸収されたことで、独立したメーカーとしての幕は閉じました。しかし、ヘルベンダーなどの傑作はヘドンブランドの中にその名を残し、今もなお愛され続けています。


おわりに

Whopper Stopper社の歩みは、模倣から始まった一つの情熱が、技術革新と科学的理論を取り込みながら成熟し、釣りの世界に確かな足跡を残していく過程そのものでした。

彼らは、それまで多くのアングラーにとって未知だったディープウォーターという領域に対し、「ハート型リップ」という武器と、「カウントダウン理論」という地図を示しました。この考え方は、クランクベイトという釣りを単なる“巻くだけのルアー”から、水中を理解するための手段へと押し上げ、その影響は今も世界中の湖やリザーバーで静かに息づいています。

なお、現代のアングラーにおなじみのRiver2Sea社「Whopper Plopper(ホッパープロッパー)」は、2008年頃にラリー・ダールバーグが開発したルアーです。名前の響きに思わず系譜を感じてしまいますが、Whopper Stopper社とは血縁関係も親戚関係もなく、あくまで“名字がよく似た別人”。歴史の偶然が生んだ、ちょっとした釣り業界の勘違いポイントとして、覚えておくと話のタネになるかもしれません。

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伝説のルアーブランド「ワッパーストッパー」創業から終焉!の記事があなたのバスフィッシングライフのサポートになれば幸いです。

では!! よい釣りを(^。^)y-.。o○


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