マンズベイトカンパニーの創立者トム マンは魚探も作った偉人!

バスフィッシングの偉人達

今回はマンズベイトカンパニーの創業者、トム・マン氏を紹介します。今では当たり前になっている、ワームに香りを付けたり、バスフィッシング用の魚探を作ったりしたのもトム・マン氏の功績です。

ボクがマンズベイトカンパニーのルアーを最初に知ったのは、リトルジョージよりも先にジェリーワームだったと記憶します。

80年代にはタックルショップに入ると、マンズ社のジェリーワームから香る果物のいい香りが店内を包んでいまた。

当時のショップはワームもバラ売りされていた時代だったので、少ないお小遣いを持ったバス釣り少年達にはありがたいプロショップが多かったです。

では!!マンズベイトカンパニーの創立者トム マンは魚探も作った偉人!の始まりです(^O^)/


5ドルを元手に1958年にマンズベイトカンパニーを設立させる!

1932年にアラバマ州ベントンという町からトム・マン氏は誕生します。家は農業で生計を立てている農家で、男4人女4人の8人兄弟の10人家族だったそうです。

釣り好きだったトム・マン氏は、5ドルを元手に1958年にマンズベイトカンパニーを設立します。 最初に作ったルアーはフライマテリアルを買って作ったヘアージグです。

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マンズベイトカンパニーのロゴ

マンズベイトカンパニーのロゴにはネイティブアメリカンのイラストが使われています。その理由は、トム・マン氏がチェロキーインディアンの血が混ざっているそうで、彼は先祖に対して敬意を称した証しとして、あのロゴになったそうです。


リトルジョージのネーミングに知事の名前が使われていた!

トム・マン氏は自然環境保護官になるのが夢で保護管になる為に努力していたのですが、当時、 自然環境保護官の職の空きが無い為、釣具店で働きながらハンドメイドのジグを作ります。

1960年には念願のアラバマ州政府の自然環境保護官に就任します。保護管就任後もルアーを作り続けていました。この頃のバス釣りはシャローゲームが一般的でディープの釣りは開拓されておらず盛んではありませんでしたが、トム・マン氏が作ったジグがとても好評でハンドメイドで作ることでは、追いつかないほどの状況なっていました。

リトルジョージ

好きな自然環境保護官を止めてルアー作りに専念するべきか悩み上司のジョージ・ウォレスン知事に相談します。 ジョージウォレスン知事はトム・マン氏に環境保安官を一年休職してちゃんと会社を経営しなさいと助言します。知事の言葉に押されて会社経営に力を入れることを決意します。

トム・マン氏はジョージ・ウォレスン知事に感謝を込めて大人気だったジグの名前をジョージ・ウォレスンの名前から取って、リトルジョージと名付けられたそうです。


ゼリーのような柔らかさを持つジェリーワーム

1967年にジェリーワームを販売します。当時、ルアーメーカーがワームの販売をしていましたが、この時代のワームはビニール製で臭いが強く、ワームの素材も硬かったそうです。そこで、トム・マン氏はワームを柔らかくする事を目標に、素材から見直して作り上げたのがジェリーワームです。

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ジェリーワーム

ジェリーのように柔らかいという意味で名付けられたジェリーワームですがプラスチックの臭いを消す為にフルーツの香りがするようにしました。香り付けのアイデアはトム・マン氏の奥さんの発案から出来たそうです。

ワームに合わせて紫ならグレープ、黒ならブラックベリー、赤はストロベリーとフルーツの香りが付けられました。ジェリーワームは2008年のファルコンレイクで行われたBASSのトーナメントでは4DAYSレコード(132lb8oz)を樹立しています。


トム・マン氏のミスでhummingbird社がhumminbird社になった!

トム・マン氏はリトルジョージを製作してディープの釣りの世界に広がりを与えました。更にディープの釣りいわゆるストラクチャーフィッシングを構築していく時代に入っていきます。

1960年代後半から釣具業界は魚探に脚光をあびるようになり、トム・マン氏は1971年に電気や音波の知識がないのに魚探を作るべくハミンバード社を設立し成功させます。

多くのアメリカの企業と同じように魚探メーカーのハミンバードはアラバマ州ユーフォーラのガレージのような施設で1971年から始まります。トム・マンはヒースキット社の機械を最初のハミンバードデプスサウンダーとして改造し始めました。

1974年、ハミンバード社から最初の防水フィッシュファインダー、スーパー60が販売されます。ボクは最初、ハミングバード社と思っていましたが、正確にはハミンバード社で会社名が付けられた経緯のエピソードがとても面白いです。

トム・マン氏はデプスファインダーの構想を投資家のジムマーフィー氏に話し湖上に出ます。とても素晴らしい製品なので間違いなくヒットすると確信し販売する会社名はどうする?とトムマン氏に聞くとハミングバード社に決めていると言うので、ジムマーフィー氏はその名前はパブリックな名前なのでで申請できないのでは?と言いましたが、申請は出来たとトムマン氏が言うので申請書を確認します。

トム・マン氏が持ってきた申請書をよく見るとHummingbird社のはずがHumminbird社でgの文字が抜けていたそうです。もともと最速で飛ぶ鳥に因んでhummingbirdと付けるつもりだったようですが、トム・マン氏が訛りでgを発音しなかった為にhumminbird社になったそうです。


1973年にリロイ ブラウンとの出会からトムマン フィッシュワールドを建設

トム・マン氏は1978年にBASSのトーナメントからは引退しますが、BASSトーナメントの第1回から出場し時には4位に入賞したり、バスマスタークラシックには8回も出場する優れたトーナ―メンターとしての側面を持った方です。

デザインしたルアーの数は3500以上も手がけ、ルアーに臭いを付ける発想を考え出したのもトム・マン氏が最初だと言われています。

Ray Scott Outdoors
リロイ ブラウンの墓とトム・マン氏

1973年には一匹のブラックバス(リロイ・ブラウン)との出会いからトムマン フィッシュ ワールドという16万ℓの大水槽を会社内に建設し、ここを訪れるアングラーにバスの生態を見せていたそうです。

1981年にリロイ・ブラウンが他界するとトム・マンは葬儀を開き、リロイブラウンの葬儀に800人を越える参列者が集まり当時のアラバマ州知事からも電報が送られてきたそうです。

2003年にはフィッシュワールドは閉館、2年後の2005年2月11日に心臓手術の合併症によりトム・マン氏は他界されます。


おわりに

最後までお読みいただきありがとうございます。マンズベイトカンパニーの歴史と創業者のトム・マン氏が人生の一端をご紹介しました。トーナメンター兼ルアーメーカー社長という肩書のはしりのような方ですよね。そして、ルアーの開発以外に魚探まで手を広げる辺りが、トム・マン氏の凄さを感じます。

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では!! よい釣りを(^O^)/


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