プラドコとレーベルの歴史! バス釣り界の偉人ジョージ ペリン!

バスフィッシングの偉人達

今回のバス釣り界の偉人はPRADCO社とREBEL社の創業者であるジョージ ペリン氏を紹介します。ジョージ ペリン氏はドイツ系アメリカ人で生年月日は不明です。

ボクが調べたところでは、アーカンサス州にプラドコ社を創業するところからしか人物としての情報が掴めなく、バスフィッシング界では超有名な人なのに謎めいている部分がある人です。

PRADCO社の抱えるルアーブランドの中で、アメリカ国内のルアー販売数が一番多いブランドは以外にもヘドンではなくREBEL社のルアーだそうです。また、ジョージ ペリン氏は釣れるルアーを安価に提供する事をREBEL社の創業当初からの信念として持たれています。

また、REBEL社はルアーフィッシングを始める子供たちの為に、クリックホッパーやハンブルバグ、ヘルグラマイトなどの小型のプラグで構成されたウルトラライトシリーズやマイクロシリーズを作ります。これらのシリーズは、初心者や子供でもブルーギルやバスが良く釣れるので、バスフィッシングを楽しんで始められるシリーズになっています。

マイクロシリーズに至っては、シングルフックのバーブレスになっているので怪我を最小限に抑える工夫がされています。REBEL社はバスアングラーのすそ野を広げる活動をしているメーカーです。

では!! プラドコとレーベルの歴史! バス釣り界の偉人ジョージ ペリン!の始まりです(^O^)/


1950年代にプラスチックの製品の製造会社PRADOを創業!

1950年代にジョージ ペリン氏はアーカンサス州フォートスミスにプラドコ社を創業します。アメリカ軍にネームプレートを供給したり、冷蔵庫や家具等に使われるプラスチックの部品を製造する会社がプラドコ社です。

PRADCOの正式名称はプラスチック・リサーチ・アンド・ディベローピング・コーポレーションの頭文字を取ってPRADCOといいます。

ジョージ ペリン氏

先ほども触れたように、注文を受けたプラスチック製の部品を作る会社だったので、自社の製品を作る事はなかったので、一般的に会社名は知られてはいなかったようです。

プラドコはこの時代の最新素材であるプラスチックの精密金型の製造から射出成型機を使った成型加工も行っていたと考えられます。アメリカ軍からも仕事を受けていたので、事業は安定的に成長していったので、Rebel Luresを始める事が出来たようです。


Rebel Luresを創業 最初に作ったルアーはレーベルミノーF10!

1962年にプラドコ社内に釣具を扱う別会社、Rebel Luresを設立します。Rebel Luresを創業した理由はジョージ・ペリンが友人とバス釣りを楽しんでいた時に、友人が当時大人気のラパラのミノーは高いし、なかなか手に入らないから困るとジョージ・ペリンに話したそうです。

ジョージ・ペリン氏は当時のラパラのミノーを見た時にウッド製で壊れやすく、品質にバラツキのあるラパラに高額のお金を払って購入する人たちに疑問を持っていたようです。

それでは、プラスチック製のミノーを作ろうとジョージ ペリン氏は考えます。プラスチック成型の技術を使って多くの人が気軽に安く買えるルアーを作る事を考えます。REBEL社の第一号ルアーはミノーに決定します。

REBEL社の社名は、娘さんが通っていた高校で話題になっていた学生サッカーチームの名前から取ったそうです。意味は反抗・革命で名前の響きも良いので、会社名に取り入れたそうです。

アーカンソー州のウォシタ湖でプロトタイプのレーベルミノーを実験しているとバスがミノーに近寄って来て寸前で食わず引き返すことが、度々あり、バイトに繋げる為にどうすればいいか考え出したのが、クロスハッチです。

クロス・ハッチの鱗模様に1・2・3の法則で輝くような機能を3年の歳月をかけて開発しレーベルミノーF10を完成させます。

1・2・3の法則は、クロス・ハッチに反射する光のリズムを不規則にすることで、リアクション・バイトを得る機能です。レーベルミノーF10の完成でレーベル社のミノーが安くて釣れると評判になり、人気ルアーになっていきます。

また、REBEL社は当時、この時代にレーベルミノーを開発するにあたり社内でルアーのスイムテストをする為の水槽を作ります。形は長方形ではなく、円形で水槽の縁をルアーが引っ張られて泳ぐ仕組みになっていたそうです。


Rebel Luresの技術と凄い安定供給できる生産性

その他にもRebel Luresでは本物のザリガニから型をとって作ったクローフィッシュシリーズや現代のポッパーの原型とも言えるルアー、ポップRを開発しています。

また、ルアーのカラーリングの工程でも革命的な製法を使っています。レーベル社のエンジニアである、ウィリアム・チャーリー氏が開発した技術で曲面に印刷する事ができるパッド・プリントやフォトプリントという、本物そっくりな、プリント技術が施されています。

REBEL社のタックルボックス

70年代、アメリカンのルアーメーカーでは本物のベイトフィッシュに似せた、リアルペイントが流行っていた時代で、この技術はバグリー社にも提供されています。

また、REBEL社は、金属製の重たいタックルボックスが多かった時代に、プラスチック製の両面開きのタックルボックスを最初に作ったメーカーでもあります。更にREBEL社のタックルボックスはワームを入れても、溶ける事の無い素材を既に使っていたそうです。

1980年代には他社のタックルボックスも技術が向上するようになり、REBEL社はタックルボックスの製造を止める事になります。

REBEL社の古い従業員であるダニー・ストーナーは言います。REBEL社は1日に 10,000 個のルアーを作る生産体制を誇っています。また、私たちは1980年代に、米国のすべての男性、女性、子供達に十分なREBELルアーを提供してきたと。ラパラの一日のルアー生産数が5000個だつたそうですから、当時のREBEL社の生産体制の凄さが伝わりますね。


「ボートまで作ってしまう」ルアー以外の分野にも参入していたRebel Lures

REBEL社は1970年にはプラスチック素材の研究を進めて、ルアーの分野以外にもボートの開発製造にも取り組んで行きます。1971年に行われた最初のBassmasterClassicの公式艇も、REBEL社が開発したボートで名前を「ファストバック」と言います。BassmasterClassicは開催地は極秘でREBEL社は24艇のボートの製作と開催地までの移動と設置を行う大きなプロジェクトを担います。

1971年にはレンジャーボートの工場が火災で全焼した事もあったので、ボート制作の白羽の矢がREBEL社にたったのかもしれません。

クラシックではボートの上げ下ろしをジョージ ペレン氏も手伝ったそうです。この年のクラシックではボビーマレーがクラシックで優勝しています。ボート以外にもエレクトリック・モーターの開発もREBEL社は始めていました。今のエレクトリック・モーターの操船方法とは違い進む方向のボタンを足で踏んで操船する仕組みだったようです。

また、障害物の育ちにくい水域でもブラックバスが生息しやすい為に、「フィッシュ・ツリー」を製作します。この「フィッシュ・ツリー」の特徴は、ルアーが障害物に接触しても障害物が回転して根掛りしない機能を組み込んでいます。

REBEL社はその後、EBSCO(エルトン・B・ステーフン・コーポレーション)に売却されエビスコ牡はプラドコ社を残し、これを母体に名実ともに世界一のルアーメーカーを目指し続けてます。


ヒロ内藤さんに聞いてみた!何故?レーベル社はフォトプリントの技術をバグリーに教えたのか?

2023年6月23日にヒロ内藤さんにお会いする機会があり、REBEL社の「フォトプリント」と言われる技術をなぜ?バグリー社に伝えたのか、その辺りのお話を伺いました。

先ずはフォトプリントとはどの様な技術か説明しますと、レーベルクローフィッシュなどに使われている技術で塗装でははく写真をルアーに転写する技術です。塗装とは違い、本物のザリガニや魚の模様を忠実にルアーに写す事が出来るので、本物そっくりなリアルな仕上がりになります。

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レーベルクローフィッシュ

70年代にアメリカでは、リアルイミテートしたルアーが流行ります。このフォトプリント技術の最先端を走っていたのがREBEL社でした。

こんな、素晴らしい技術を同業他社のバグリー社に教えると知った社員たちは当然ですが、反対したそうです。社員の反対を押し切ってまでバグリー社に技術を伝えたのは、ジョージペレン氏がバグリー社に憧れもあり、お近づきになりたかったのではとヒロ内藤さんは仰っていました。

バグリー社は1954年にポークリンド会社、Bills13をバグリー氏が購入してルアーメーカーを始めているので、REBEL社からしたら歴史のあるルアーメーカーなのです。また、ボクの考えですが、ラパラに対抗してミノーを作った会社でもあったので、仲間意識が働いたのかもしれませんね。

フォトプリントの技術を教えると言っても技術の部分はもとより、どの様な機械を使いどの様にして作業するのかまで、全てのノーハウを惜しみなくバグリー社に伝えたそうです。この事により、リアルイミテートが流行ってた時代にバクリー社もその波に乗る事ができたようです。


おわりに

今回はPRADCO社の創業者でありREBEL社の生みの親であるジョージ・ペレン氏を紹介しました。日本ではREBEL社をレーベルと伸ばして発音しますが正しくはレベルと発音するのが正しいそうで、なんで伸ばすようになったのかは諸説あるようです。

ボクが聞いた説では、西山徹氏が日本にREBEL社を伝える時にレーベルと伸ばして発音することで、そのまま日本でこの呼び方が釣り人の中で定着したという説です。

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では!! よい釣りを(^O^)/


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