今回はバス釣り界の帝王と呼ばれたローランド マーチン氏を紹介します。ローランド マーチン氏は1940年3月14日生まれバス釣りは6歳から始めたそうで、早い時期からバス釣りに関する仕事に就きたいと考えていたそうです。
アメリカ陸軍士官から学校教師を経て20歳になるとサウスキャロライナ州サンティークーパーリバーでバス釣りのフィッシングガイドをして働いた後、マーチン氏は1969年にトーナメントフィッシングに挑戦することを決めます。
現役時代はB.A.S.S. のトーナメントでは9回もアングラーズ・オブ・ザ・イヤーに輝き、国際ゲームフィッシュ協会(IGFA)の殿堂、淡水釣りの殿堂、バスフィッシングの殿堂という、3つの釣りの殿堂入りを果たします。
引退後はビル・ダンスとジミー・ヒューストンとも仲が良く、2人は ローランド マーチンの番組に何度も出演し、彼らと一緒に、Th3 Legendsという会社を設立しました。
では!!帝王 ローランド マーチン!全てのバス釣りの殿堂入りを果たした男!の始まりです(^O^)/
1971年から1985年までの15シーズンで、9つのアングラー・オブ・ザ・イヤーのタイトルを獲得!
1969年にレイ・スコット氏が始めた B.A.S.S. のバスフィッシングトーナメントの話を聞いて興味を持ち、当時、アラバマ州で開催されたトーナメントを見学に行ったのですが、トーナメントに集まってくるアングラーのレベルが高く自分の実力ではかなわないと感じたそうです。
しかし、レイ スコットの勧めで1970年のシーズンから B.A.S.S. トーナメント参戦を始め初戦はテキサス州トリード・ベンド・リザーバーで2位、そして第2戦目セミノール湖では優勝します。その後のトーナメントも2位、16位、5位と進み最終戦では2位に入賞、ルーキーとしては素晴らしい成績を残しました。
また、1970年にはダレル・ローランスから声が掛かり、初期のローランスのデプスファインダーの研究開発にも携わる事になります。
1971年から3年連続で年間最優秀選手であるアングラー・オブ・ザ・イヤーに選ばれ、1971年から1985年までの15シーズンで、マーチン氏は9つのバスマスター・アングラー・オブ・ザ・イヤーのタイトルを獲得しました。このBASSの偉業は未だに破られていません。
戦績は合計279戦、出場し1位と2位だけでも38回も入賞する勝率の高いプロで帝王のニックネーム通りの成績です。
ローランド マーチン氏によるパターンフィッシングという考え方!
1969年にサンティークーパー湖のバス釣りマップを作成しローランド マーチン氏はパターンフィッシングというバス釣りをシステマティックにした定理を打ち出していきます。
ローランド マーチンのパターンフィッシングの定理は水深・カバー・ストラクチャー・水温・透明度 水の流れ等の条件によりバスの集まるエリアを分類していくそうです。
そして、このパターンフィッシングの釣りを日本のアングラーに見せつけたのが、1985年に行われた、河口湖でのトーナメントで、初めて来た日本の湖で2位とビックフィッシュ賞を手にしました。
当時はフィッシングプレッシャーが上がる中、周りはフィネススタイルの釣りが主流のそんな中で、スピナーベイトとメタルジグのパターンでの記憶に残る釣りを見せてくれました。
その後も滋賀県の西の湖でもフリッピングの釣り方をレクチャーしランカーバスをここぞと言うポイントを何回も打ち直してバスを引きずり出す等の話題で当時はローランド マーチン旋風が凄かったです。
当時はパターンフィッシングの考えには注目がいかずビックブレードのオキチョビスペシャルに注目が集まり、ルアーショップはビックブレードのスピナーベイトをたくさん置いていました。
日本のシマノが初めて本場アメリカのバスプロのスポンサーに付いたのも当時の話題でした。シマノのファイティングロッドにマグナムライトのリールがカッコよく中学生のボクも親に無理を言ってタックルを購入してもらった思い出があります。
ローランド マーチンは、3つの釣りの殿堂入りを果たした最初のプロ・アングラー
2005年、ローランド マーチンは35シーズンB.A.S.S.の大会から引退します。それまでに19回の優勝(1980~81年の3連覇を含む)と19回の2位入賞を果たした。
バスマスター・クラシックの出場権を25回獲得し、優勝こそ逃したものの、9回のクラシックのトップ10入りを果たした。306試合のB.A.S.S.トーナメントで、ローランド マーチンは102回のトップ10入賞を含む193回の入賞を果たし、100万ドル以上を稼いだそうです。
その後、ローランド マーチンはFLWサーキットでも活躍し、139,000ドルを獲得し、2度のFLWカップ・チャンピオンシップの出場権を得ます。
2005年に行われた、ESPNが「世界で最も偉大な釣り人」を選出するファン投票キャンペーンで、マーチン氏はリック・クランのすぐ後ろの準優勝者に選ばれました。リック クランの4つのクラシック優勝は、少なくともバス釣りファンの心の中では、ローランド マーチン氏の9つのアングラーオブザイヤータイトルを上回ったようですね。
ローランド マーチンは、国際ゲームフィッシュ協会(IGFA)の殿堂、淡水釣りの殿堂、バスフィッシングの殿堂という、3つの釣りの殿堂すべてに殿堂入りした最初のプロ・アングラーでもあります。
何十年もの間、彼のテレビ番組「Fishing With Roland Martin」は、全国の何百万人ものバス釣り人を楽しませ、釣り人を教育してきました。彼の人気ハウツー本、ローランド マーチンの101 Bass-Catching Secretsは、1980年の出版以来、釣り人のバイブルとなっています。現在は講演も行っており、YouTubeチャンネルでもバスフィッシングの面白さを伝えています。
ローランド マーチンの息子の名前はB.A.S.S.の創設者から取って付けられた
ローランド マーチンは、バス釣り界の伝説的な人物であり、FLWとB.A.S.S.の両サーキットで成功を収めました。彼はまた、スコット・マーチンという優れたバスアングラーの父親でもあります。スコット・マーチンの名前は、ローランドの友人であり、バス釣りトーナメントの創設者であるレイ・スコットから取られました。
スコット・ マーチンのキャリアはFLWツアーで8勝し、2011年フォレスト・ウッド・カップ優勝と300万ドル以上の賞金を獲得しています。また、ESPN2とディスカバリー・チャンネルで「スコット・ マーチン・チャレンジ」という番組のホストを務めています。
おわりに
最後までお読みいただきありがとうございます。ボクが最初にローランド マーチンを見たのは中学生の頃に放送していたシマノがスポンサーだった釣り番組が最初だったと記憶します。
ローランド マーチン氏のシルバーフォックス社のビックブレードのスピナーベイトとホプキンスやリトルジョージによるメタルジグのバーチカルジギングの釣りで一夜にして日本にビックブレード スピナーベイトのブームを作り出してしまった記憶に残るカッコいいバスプロですね。
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では!! よい釣りを(^O^)/
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