「Creme Lure Company」ニック クリームとはどの様な人物か?

バスフィッシングの偉人達

今回のバスフィッシング界の偉人は現在のプラスチックワームの基礎を築き上げた人物であるCreme Lure Companyの創立者ニック クリーム氏を紹介します。

ニック クリーム氏は1940年代に現代のプラスチックワームを作るアイデアを思いつき、妻のコズマさんと一緒に自宅でプラスチックワームの開発を始めます。

元機械工であったニック クリーム氏は本物のナイトクローラーと言う大きなミミズを使って金型を作り柔らかく本物そっくりなプラスチックワームの大量生産に成功します。

また、プラスチックワームを開発することでテキサス州ではテキサスリグが誕生します。また、Creme Lure Companyはフィールドテスターを雇うことを初めて行ったルアーメーカーでもあります。

では!「Creme Lure Company」ニック クリームとはどの様な人物か?の始まりです(^O^)/


1910年にCreme Lure Companyの創立者ニック クリーム氏が誕生!

Nick Creme

ニック クリーム氏は1910年に生まれ1949年にはオハイオに住んでいました。ニッククリーム氏は典型的なアメリカの起業家で素晴らしいアイデアとそれをやり遂げる決意を持った男性です。

ルアーメーカーを立ち上げる前のニッククリーム氏はブルーカラーの労働者で、本業は機械の部品を作る機械工でした。

1940年代のアクロンは、ニック クリーム氏のような人が就職してお金を稼いで家を持ちそして家庭を築いて休日には釣りに熱中できた急成長中の工業都市でした。

当時の釣り人は大物を狙うならナイトクローラーと言う大きなミミズを釣り餌に使っていましたが、餌のミミズは魚に食いちぎられたり、釣りをしている最中にミミズを土から掘り出す為に釣り場から離れる時間がストレスになるとニック クリーム氏は考えていたようです。

1940年代にニック クリーム氏は本物のミミズのように釣り針に付けて使える人工のナイトクローラーを作る事は出来ないかと考えます。


1940年代に自宅キッチンと地下室でプラスチックワームを開発する!

プラスチックワームが誕生する前はゴムからワームを作ろうとしていましたが、素材が硬く需要はありませんでした。なので、柔軟性があってアクションの良いポークリンドが使われていました。

ワームを作る為に化学の本を読みあさったニッククリーム氏は、プラスチックという新しい分野に大きな可能性を見出します。彼はクリーブランドに行き既にナイロンを発明された後、ビニールに参入しようとしていたデュポン社を訪ねました。

ニック クリーム氏の情熱が伝わったのか研究所の技術者から、自宅で試す為にと化学薬品を手渡されます。ニッククリーム氏は妻のコズマ氏と台所に立ちポリマーに顔料を混ぜて油の混合物を作ります。

それを地下室に運び、本物のナイトクローラーから模った自作の型に流し込んで製作しました。そして数ヶ月の試行錯誤の末、1949年に生きているように柔らかなプラスチック製のワームが完成させます。


1951年にクレーム・ウィグルワームが1パック1ドルで販売される!

ニック クリーム氏が作り出したプラスチックワームは見た目が柔らかくて生きているように感じられるだけでなく、時間が経っても空気に触れてもその状態を保つワームを作り出した。

1951年に最初に販売されたワームは6インチの「クレーム・ウィグルワーム」で、5個入り1ドルで『Sports Afield』の通販広告を使って郵送で販売されました。

クレーム・ウィグル・ワームは生き餌で釣りをする釣り人が使う仕掛けと同じように、3フックのハーネスが付いたものでした。また、フックなしの交換用ワーム5個入りを購入することもできた。発売当初はそんなに売れてはいませんでした。

しかし、クリーブランド・スポーツマン・ショーで、同社として初の大きな売り上げがあがります。数日のうちに、ショーに参加した釣り人に約9600パックを販売します。ブースを見に来た人にワームの機能を伝える為に友人のディストリビューターがブースの水槽にワームを展示してくれたそうです。

クリーブランド・スポーツマン・ショーを境に需要は急増し、瞬く間に厨房が手狭になっていきました。そこで、クリーム夫妻はオハイオ州アクロンに小さな製造工場を設立します。

そして、1950年代後半になると、クリーム社のソフトプラスチックワームの噂がアメリカ南部のバスアングラーに広まり始めました。ニッククリーム氏は会社をバスフィッシング・アクティビティの中心に移すことを決意し、テキサス州のタイラーに工場を建設します。

プロのアングラーがCreme ScoundrelsとShimmy Galsで初期のB.A.S.S.トーナメントで優勝した事で、ニック クリーム氏のビジネスは本格化しました。


1950年代にテキサスのアングラーがクリームワームを使ってテキサスリグを考案する!

クリーム社のプラスチックワームは、水中のブラシパイルのカバーを釣る方法を探していたテキサスのアングラーの目に留まります。

クリーム社の現CEOであるウェイン ケント氏は、テキサスリグを考案したアングラーの名前は覚えていないが、タイラー湖でテキサスリグが生まれたことは間違いないと言います。

この2,200エーカーの湖(現在のタイラー・ウェスト)は、ニッククリーム氏がワームを発明したのと同じ年に造られたリザーバーです。また、余談ですが、この年はスキーターボートも最初のバスボートを造った年代でもあるそうです。

1950年代には、テキサス東部にさらに多くのリザーバーが作られました。新しい湖はかつて森林地帯だった何エーカーもの土地を水没させ、ブラックバスにとって絶好の障害物になりました。

その匿名のアングラーは、むき出しのプラスチックワームを使って、テキサスリグとして知られるリグを考案した。彼はベルシンカーの真鍮アイレットを切り取りったシンカーを使ってテキサスリグをリグっていたそうです。


Creme Lure Companyはフィールドテスターを雇った最初のルアーメーカー

1950年代、当時のバスアングラーたちは自分の町以外ではあまり釣りに関してのコミュニケーションを取っていませんでした。そんな中、クリーム社は、フィールドテスターを最初に雇ったルアーメーカーでもあります。

ニック クリーム氏はスポーツ用品店やイベントで、自社のルアーを使った釣り方を教えたり、リギングテクニックを実演してもらうためにフィールドテスターに報酬を支払っていました。

ニック クリーム氏のネットワークには、ビル・ダンスのような有名アングラーも含まれていました。ビル・ダンスは23の国内タイトルの勝者であり、『Bill Dance Outdoors』の司会者でもある。

また、テキサス州のタイラーで教鞭をとりながら時間ががあれば釣りを楽しんでいたビル・コールマンのような地元の釣りの上手いアングラーも雇っていました。

1967年にバスプロのジョン パウエル氏にニック氏が年間18,000ドルを提供し、ジョン・パウエル氏とスポンサー契約します。クリーム社はプロアングラーと契約した最初の企業でもあります。

時は流れ、1984年にニック クリーム氏は亡くなります。クリーム社は息子であるマイク クリーム氏の経営下で経営が引き継がれていきます。

その後、ニック クリーム氏に触発された、現在のCEOであるケントと妻のジュディはタイラー・ジュニア・カレッジの学生だった1965年に自宅でルアー会社を立ち上げチューブワームを開発します。

1989年にナイト・マニュファクチャリング社は、ニック クリーム氏が亡くなった5年後にクリーム社と合併しました。

現在もプラスチックワームの歴史は続いており、クリーム ルアー カンパニーは、オリジナルのワームだけでなく、新しく革新的な製品も作り続けています。

クリーム社の現在のCEOであるウェイン ケント氏はこう言います。「釣りというスポーツにこれほど大きな影響を与えたものはないと思います。」地下室で一人の男によって作られた総合的な産業なんだと。


おわりに

「Creme Lure Company」ニック クリームとはどの様な人物か?の記事を最後までお読みいただきありがとうございました。プラスチックワームの歴史を遡るとゴム製のモノが作られた時代もあったのですが素材が固かった為に普及しませんでした。

しかし、ニック クリーム氏の情熱と探求心により現在、釣り人が使われているソフトプラスチックワームの原点を作られたのです。手にしたワームを見てニック クリーム氏の事を思い出してみて下さい。

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「Creme Lure Company」ニック クリームとはどの様な人物か?の記事があなたのバスフィッシングライフのサポートになれば幸いです。

では!! よい釣りを(^O^)/


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