アンティークルアー界の伝説!クライド・A・ハービンを紹介!

バスフィッシングの偉人達

バスフィッシングを愛するアングラーのみなさん、こんにちは! 2025年は、日本の芦ノ湖にブラックバスが移植されてからちょうど100周年の記念すべき年。そんな節目に、トップウォータールアーの生みの親ジェームズ・ヘドンの曾孫、チャック・ヘドン氏が来日し、日本のアングラーたちと交流を深めています。

チャック・ヘドン氏は、1942年生まれの83歳。今もなお現役でバスフィッシングを楽しむ情熱あふれるアングラーであり、アンティークルアーのコレクターとしても世界的に知られる人物です。彼が特に愛するルアーは「ベビートーピード」で、2025年には自身が選んだ往年のカラーを再現した「チャックヘドン・ヴィンテージコレクション」がスミス社との共同企画で発売されました。

今回の「釣りたいバス釣り日記」では、そのチャック・ヘドン氏をルアー収集の世界へと導いた人物、「クライド・A・ハービン・シニア」をご紹介します。彼は、ヘドンルアーを中心としたアンティークルアーの収集・研究に生涯を捧げ、“ザ・バスマン”の愛称で親しまれた伝説的な存在です。

大阪で開催されたチャック・ヘドン氏の来日イベントに参加した筆者は、ヒロ内藤さんの通訳を通じて、クライド氏との貴重なエピソードを直接伺うことができました。この記事では、その感動的な対話とともに、クライド・A・ハービン・シニアの軌跡をたどっていきます。

では!! アンティークルアー界の伝説!クライド・A・ハービンを紹介!の始まりです(^O^)/


1916年にテネシー州でクライド・A・ハービン誕生

クライド・A・ハービン・シニアは1916年1月15日にテネシー州メンフィスで生まれ、両親は食料品店を営んでいた。1917年には家族でミシシッピ州北部に移住し、乳牛の搾乳と牛乳販売を開始します。

ジョン、息子クライド、妻エマ、1916年頃の写真

1919年には、テネシー州ホワイトヘブンへ移り住み、翌年の1920年にはバーベキューとハンバーガーを提供するロードサイドスタンドを開業しました。その後、公共プールやツーリストコート(現代のモーテル)を併設し、国道沿いの宿泊施設として発展しました。

両親の死後、クライド・A・ハービン・シニアは家業である酪農事業を継承し、アイスクリームやミルクシェイク用の液体乳製品を地域の飲食店へ供給するようになります。1934年には軍事アカデミーを卒業し、ミシシッピ大学で法学を学びましたが、途中で中退し、家業に専念する道を選びました。

そして1939年、クライドはエリー・ポーク・ベイリーと結婚します。彼女もまた釣り好きで、なんと13ポンドのブラックバスを釣り上げたことがあるという実力派アングラー!夫婦そろってバスフィッシングへの情熱を持ち、アウトドアを共に楽しむ理想的なパートナーだったようです。


クライド・A・ハービンがルアーコレクターになった切っ掛けについて!

クライド・A・ハービン・シニアは、釣りだけでなくアウトドア全般に情熱を注いだ人物でした。1951年にはアーカンソー州シュトゥットガルトで開催された全米アヒル鳴き声コンテスト(World’s Championship Duck Calling Contest)で入賞。翌1952年には西テネシー・スポーツマンズ・ラリーでチャンピオン・ダック・コーラーに輝きました。

クライド・A・ハービン

このコンテストは1936年に始まり、地元のアヒルハンターたちが「誰が一番うまくアヒルを呼べるか?」を競う伝統的なイベント。クライドの技術と表現力は、アウトドア界でも高く評価されていました。

1956年から1964年にかけては、テネシー州メンフィスや中西部各地で行われたレトリーバートライアルにも積極的に関与。レトリーバー犬が水鳥猟で撃ち落とされた獲物を回収する能力を競うこの競技で、クライドは運営や支援に尽力しました。1960年にはミズーリ州ウェルドン・スプリングで開催された全米選手権ステークにて「ランナー(雑用係)」として参加し、ジョン・オリン氏のニロ・ゲーム・プリザーブでの射撃にも招待されました。

そして1964年以降、クライドは古い釣り道具の収集に情熱を注ぎ始めます。ある日、メンフィス南部のオックスボウ湖で釣りをしていた際、愛用していた「ヘドン・ラッキー13」が不発に終わり、友人から「ヘドン・バッサーがあればな」と言われたことがきっかけでした。後日、別の友人から実物のバッサーを譲り受けたことで収集熱が高まり、希少な「ヘドン・スピンドライバー」なども手に入れ、研究とコレクションを本格化させていきます。

1967年には、レイ・スコットがアーカンソー州ビーバー湖で開催した第1回オールアメリカン・ダービーに関わります。当初は前例のない賞金付きトーナメントであることや、無名のレイ・スコットが運営していたため、開催は難航していました。そんな中、資金面で援助したのが不動産経営者のジョー・ロビンソン。さらに、クライドは宣伝面でも支援を行い、メンフィス・バスメンチームのキャプテンとして他州に挑戦状を叩きつけ、チーム対抗戦の提案と規定作成を行いました。

その結果、参加者数は35人から106人に急増し、レイ・スコットの大会は大成功を収めることとなります。クライドの行動力とネットワークが、バストーナメントの歴史を動かした瞬間でした。


クライド・A・ハービン・シニアは「ビル・ダンス」を支援し釣り文化への貢献も果たされていた!

ビッグ・オーで知られるコットン・コーデールは、釣り界のスタービル・ダンスに最初の商業的チャンスを与えた人物として有名ですが、実はクライド・A・ハービン・シニアも、ビル・ダンスのキャリア初期を支えた重要な存在でした。ビルが台所のテーブルで自作のロッドを作っていた頃からクライドは彼を支援しており、「もしクライドの後押しがなければ、ビル・ダンスは今も家具販売員だったかもしれない」と語られるほどです。

レイ・スコット主催の初のバストーナメントが成功を収めた後、クライドは「ザ・バスマン」の愛称で親しまれるようになり、各地のバス釣りクラブや団体向けにセミナーを開催。アラバマ州モービルで行われたロボズ・フィッシング&ハンティングショーでは、1,800点以上の古いルアーを展示し、40フィートの水槽にルアーを投げ込んでバスの反応を実演しました。中でも、木製のヘドン・リバーラントにバスが襲いかかる場面は観客の注目を集め、大きな話題となりました。

クライドのお気に入りのルアーのひとつがスピナーベイト。彼自身が設計・販売した「ザ・バスマン・スピナーベイト」は、従来型に改良を加えた独自のデザインで、釣り方の説明書とルアー調整用の「ギズモ」が付属。多くのバスアングラーにその効果が実証され、実践的な釣り道具として高く評価されました。

さらに、ヒロ内藤さんから伺ったエピソードによると、生前のクライド氏から譲り受けたもののひとつが、ザ・バスマン・スピナーベイトのスカートだったそうです。そのスカートは非常に長さがあり、特徴的なデザインだったため、クライド氏の許す限り譲り受けたとのこと。このエピソードからも、クライドの創意工夫と釣りへの情熱が伝わってきます。

クライドの情熱と創意工夫は、釣りの技術だけでなく、釣り文化そのものを育てる力となりました。彼はまさに、バス釣り界の礎を築いた“ザ・バスマン”だったのです。


クライド・A・ハービン・シニア:釣りと乳製品の両輪で活躍した実業家

1969年、クライド・A・ハービン・シニアは自身の経験をもとに『ソフトクリーム・サクセスマニュアル』を執筆・出版しました。このマニュアルでは、味や分量の管理、衛生基準を満たすための消毒技術、混合時のトラブル対処法などが詳しく解説され、乳製品業界の現場で高く評価されました。

ソフトクリーム・サクセスマニュアル

彼は13の乳製品商標を開発し、メンフィスのソフトクリーム店で培ったノウハウを活かして、320枚のスライドを使ったセミナーも開催。店舗運営者の課題解決を重視した、実践的な内容でした。

一方で、釣りへの情熱も衰えることはなく、レトリーバーの訓練、バス釣りセミナーの開催、ルアー製造、バスボートの特殊装備、バンのキャンピングカー改造など、アウトドア分野でも多彩な活動を展開。特に「より多くの魚を釣り上げる方法」を教えることに強いこだわりを持ち、釣り人たちの技術向上に貢献しました。

1966年1月には、娘婿のジョン・ドッドリッジ・ジュニアがハービン・ミックス事業の運営を引き継ぎ、クライドは釣りとセミナー活動に専念できるようになります。実業家としての手腕と釣り人としての情熱を両立させた彼の生き方は、今も多くの人々に影響を与え続けています。

クライド・A・ハービン・シニア:教育と実演で釣り文化を育てた

クライド・A・ハービン・シニアは、「バスマン・コンサルタント」の創始者として、釣り教育の場を広げるために「バス・テック・ネケ・セミナー」を立ち上げました。このセミナーは、80枚のカラースライドによるプレゼンテーションと質疑応答で構成され、釣り人に向けて装備や釣り方に関する実践的な知識を提供するものでした。

セミナーでは、クライドの豊富な釣り経験に加え、相棒ジョニー・テイトの支援が光りました。ジョニーはメンフィスに拠点を置くJTコーポレーションの幹部で、スポーツ映画や釣り用品の製造を手がけており、参加者からの質問に対応しながらクライドのプレゼンテーションを補助しました。スライドには、釣り人の姿やクライドとジョニーが大型バスを釣り上げるシーンも収められており、視覚的にも説得力のある内容でした。

セミナー業界では比較的新参者だったクライドですが、その内容の濃さと実演の説得力から、「最高峰のひとつ」と高く評価されるようになります。釣りの技術だけでなく、釣り人同士の交流や学びの場を創出した彼の活動は、今も多くの釣り人に影響を与え続けています。


クライド・A・ハービン・シニア:ルアー収集の先駆者としての活躍

クライド・ハービンは、古い釣りルアーに関する情報を常に探し求めていた。1970年代当時、ルアーに関する印刷物や資料は極めて少なく、収集家たちは情報不足に悩まされていた。そこで彼は、ルアー収集家向け初の書籍『バスマンによるジェームズ・ヘドンズ・サンズ カタログ集』の編纂を決意します。

 James Heddon’s Sons Catalogues 

1977年に出版されたこの書籍は、1903年から1953年までのヘドン社カタログを複製し、ルアーだけでなくロッドやリールも網羅した貴重な資料となった。

さらに、クライドは『A Collectors Reference Guide to Heddon Fishing Lures(ヘドン・フィッシングルアー収集家参考ガイド)』の共著者としても活躍します。このガイドでは、ヘドン製ルアーを番号順に整理・解説し、収集家の識別と評価に役立つ構成となっている。この出版物は、ヘドンルアー収集の初心者から熟練・上級収集家まで、計り知れない価値を有しています。

本ガイドには「カップ」から「ツーピース」ハードウェアまでの全ヘドンルアーが掲載されており、ルアー番号、ルアー名、フック固定方式、フック種類、ルアー全長、重量が記載されています。さらに収集家が自身のヘドンルアーの状態、カラー、保険金額を記録できる欄も設けられています。

彼はまた、ルアー部品を説明するための略語体系の大半を考案します。写真がなくてもルアーの特徴を伝えられるこの体系は、現在もコレクターやディーラーの間で広く使われている。略語一覧は、1977年刊行の『ジェームズヘドン・サンズ・カタログ』の表紙裏にも記載されている。

クライド・A・ハービン・シニアが編纂した『James Heddon’s Sons Catalogues』が、後に再構成・拡張されて出版されたのが『Heddon Catalogs 1902–1953: 50 Years of Great Fishing』です。この本は、1902年から1953年までのヘドン社のカタログを網羅していて、ルアーだけじゃなくロッドやリールも含まれています。

Heddon Catalogs 1902–1953: 50 Years of Great Fishing

2004年にRussell E. Lewisとの共著として再出版された『ヘドン・フィッシングルアー収集家参考ガイド』は、豊富なカラー写真とともに、ヘドン社の進化やマーケティングの歴史をたどることができる貴重な資料です。初期の木製ルアーからプラスチック製への移行まで、時代の流れがぎゅっと詰まっています。

このガイドでは、ヘドン製ルアーを番号順に整理・解説し、識別や評価に役立つ情報が網羅されています。ルアー番号、名称、フックの固定方式、種類、全長、重量などの詳細に加え、収集家が状態やカラー、保険金額を記録できる欄も設けられており、初心者から上級者まで幅広く活用されています。

さらにクライドは、カール・F・ラッキー氏の著書『古式釣りルアー・タックル識別・価値ガイド』にも大きく貢献。ラッキー氏が執筆を担当し、クライドは価格評価、特許情報、カタログ資料の提供を行い、自身のコレクションから実物を貸し出すなど、第2版から第4版までの制作に協力しました。

クライドの活動は、ルアー収集という趣味を文化へと昇華させ、釣りの歴史を後世に伝える礎となりました。彼の情熱と知識は、今も多くの収集家や釣り人たちに影響を与え続けています。


クライド・A・ハービン・シニア:釣り文化と歴史をつなぐ語り部

クライド・A・ハービン・シニアは、アメリカ野外作家協会(OWAA)やフロリダ野外作家協会の賛助会員として活動し、五大湖野外作家協会やテネシー野外作家協会にも所属。州・地域・全国レベルの会議に参加し、アンティークタックルの知識を広めるために、自身のコレクションを持ち込んで展示を行いました。

彼が主催した「ビッグバスセミナー」は、すべての釣り人を対象とした学習イベントで、アメリカを代表する釣り人や漁業生物学者による講演を含む本格的な内容。運営委員会も設置され、女性や若者向けの特別セッションも企画されました。このセミナーは、フロリダB.A.A.S.支部連盟、全米バス協会、ユナイテッド・バス・フィッシャーメンの共催により開催され、釣り人同士の交流と学びの場として高く評価されました。

1986年、クライドはヘドン/ストークス家の歴史的情報を収集するための調査旅行を企画。数百マイルを移動し、現存する家族と面会を重ねながら、埋もれていた情報を掘り起こしました。この調査は、後に『Heddon Footprints(ヘドン歴史の足跡)』という書籍の礎となり、編纂には10年以上の歳月が費やされました。彼は30年以上にわたりヘドン家を研究し、単なるカタログ集ではなく、ヘドンというブランドの文化的・歴史的な足跡をたどる資料として釣り文化の保存に大きく貢献しました。

同年12月には、フィル・スミス・プロダクションズと共に初のヘドン関連動画を撮影。以降、膨大な映像ライブラリを構築し、2000年には第9作目となる『ヘドン・ヒストリカル・フットプリント』をリリース。この作品では、ヘドンの遺産を網羅し、養蜂情報や企業史、初期ロッドやボックスの詳細まで収録。書籍版に収録されなかった新発見も追加され、釣り文化の記録として高く評価されました。

1986年12月には、フィル・スミス・プロダクションズと共に初のヘドン関連動画を撮影します。以降、膨大な映像ライブラリを構築し、2000年には第9作目となる『ヘドン・ヒストリカル・フットプリント』をリリース。この作品では、ヘドンの遺産を網羅し、養蜂情報や企業史、初期ロッドやボックスの詳細まで収録。書籍版に収録されなかった新発見も追加され、釣り文化の記録として高く評価された。


クライド・A・ハービン氏との出会い:チャック・ヘドン氏が語る特別な交流

2025年9月27日、筆者は大阪で開催されたチャック・ヘドン氏とヒロ内藤さんのイベントに参加しました。ヒロ内藤さんの通訳を通じて、チャック氏からクライド・A・ハービン氏との出会いについて貴重なお話を伺うことができました。

チャックヘドンさんとヒロ内藤さんに質問した時の写真

チャック氏によると、クライド氏は釣りをしながら旅をしていたそうですが、それは『Heddon Footprints』の著作のため、ヘドン家の人々に会う目的も含まれていたと考えられます。最初はチャック氏の父、ジム・ヘドンと会話を交わし、その後、チャック氏自身が「ヘドンコレクターと話す機会がある」と聞いたことで、クライド氏との面会が実現しました。

初対面ではルアーの話題には触れられませんでしたが、クライド氏はすでに相当なコレクターで、持っていないヘドンルアーはないと思われるほどの人物でした。再び会うことになったのは、アトランタで開催されたナショナル・フィッシングルアー・コレクターズ・クラブ(NFLCC)のイベントでした。

そこでクライド氏がチャック氏のタックルボックスを見て驚いたルアーが2点ありました。一つが未発売のプロトタイプルアーでもう一つが、ドワージャックミノー#200のエリマキを外し、ダブルスイッシャーに改造されたような下の写真のルアーです。

チャックヘドン氏のコレクション 中央のルアーがクライド・A・ハービンが驚いたルアー

この出会いをきっかけに、チャック氏はクライド氏へ、ヘドン社がかつて使用していた配送用飛行機「フライング・ジェニー」のレプリカ第2号機を贈るという、特別な交流が生まれました。

また、ヒロ内藤さんもクライド氏と交流があり、晩年のクライド氏は体調が優れず、少し弱気になっていた様子だったそうです。ヒロ内藤さんと会うたびに、クライド氏は自身の釣り道具を譲ろうとされていたとのこと。ヒロ内藤さん曰く、「クライド氏によるとコレクションの価値を家族は理解していない。だからこそ、価値をわかる人に託したい」とヒロ内藤さんに語っていたそうです。

最終的に、クライド・A・ハービン氏のコレクションについてもヒロ内藤さんに伺ったところ、バスプロショップスに寄贈され、釣り文化の保存と継承に役立てられているとの事でした。


クライド・A・ハービン・シニア:アンティークルアー界の伝道者

クライド・ハービンは、アンティークルアー分野において常に他者を支援し続けてきました。シルヴィオ・カラビ著『アンティーク・フィッシングルアー収集ガイド』には、彼が提供した多数のカラースライドが使用されており、その中には1898年製の超希少なヘドン木製の「ヘドンフロッグも含まれています。これはジェームズ・ヘドン自身が手彫りしたもので、クライドは一時期2点を所蔵。うち1点は友人ラリー・ワイソングが骨董店で入手したもので、後にクラレンス・ザーンとの交換により、ヘドンコレクションの充実に貢献しました。

80代を迎えてもなお、クライドは全米を飛び回り、バス釣りセミナーを開催し、コレクター向けイベントで講演を行いながら、膨大なコレクションの一部を披露しています。彼は、釣り用ルアーのような歴史的遺物が忘れ去られることを防ぐため、記録と教育の重要性を強く訴え続けました。

その情熱と献身は、アンティークルアー分野における啓蒙活動の礎となり、クライドは国内随一のアンティーク釣りルアーの権威として、また世界で最も知識豊富なヘドン収集家として広く認知されています。

2004年3月24日、クライド・A・ハービン・シニアは88歳でその生涯を閉じました。彼の情熱と知識は、釣り文化とアンティークルアーの世界に深い影響を与え続けています。彼の墓はテネシー州メンフィスのフォレストヒル墓地にあり、釣り人たちの敬意と感謝の気持ちが今もそこに流れています。


おわりに

最後までお読みいただきありがとうございました。今回の記事を執筆する上で生前のクライド・A・ハービン氏の事を知るチャック・ヘドンさんとヒロ内藤さんから貴重なお話を伺う事が出来たのは、とても貴重な体験でした。

彼が編纂した『Heddon Catalogs 1902–1953』は、今もなお世界中のコレクターにとってのバイブルであり、彼の研究成果は釣りの歴史を後世に伝える礎となっています。現在は、kindle版が販売されており安価で手に入ります。

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アンティークルアー界の伝説!クライド・A・ハービンを紹介!の記事があなたのバスフィッシングライフのサポートになれば幸いです。

では!! よい釣りを\(^o^)/


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