バスフィッシングを楽しまれている皆さん、こんにちは!今回の釣りたいバス釣り日記はクランクベイトの歴史と起源について情報を共有したいと思います。
丸っこいファットなボディデザインを持ち、他のルアーには無い強烈な水を動かすディスプレイメント(波動)を発する機能を持つルアーです。
また、潜る深さもシステマティックに整えられたルアーでシャローからディープをシステマチックに攻略する事が出来ます。そんな、クランクベイトはどの様な歴史と変化を得て生まれてきたルアーなのでしょうか。
クランクベイトの原点と言えば、コットンコーデール氏が作り出したビッグOと言われています。1973年にプラスチック成型によるコットンコーデール版のクランクベイトが販売されたのですが、更にクランクベイトの歴史を探ってみると、クランクベイト誕生の歴史には紆余曲折があったようです。
クランクベイトの起源としては、1917年までさかのぼりクリークチャブベイトカンパニーが作ったルアーに行きつきます。
その後の56年間の間に何が起こったのか気になりますよね。今では当たり前のファットなボディを持ったクランクベイトとはどのようなルアーなのか探っていきたいと思います。
では!! 「ルアーの歴史と起源」クランクベイトとはどの様なルアーなのか?の始まりです(^O^)/
クランクベイトの起源は1917年に販売されたクリークチャブ ウィグラー!
1910年頃にインディアナ州ギャレットにCreek Crab Bait Companyが設立され、クランクベイトの起源としては、1917年にCreek Chub Wigglerを発売します。
長さ約3 1/2インチでウェイトは3/4オンスです。1916年の刻印の無いプレーンリップから1918年にリップに名前が刻印されたものに進化します。その後、リップは1921年に名前と特許日が刻印された最も広く知られるリップで生産されます。
1920年にはCreek Chub Crawdadに名前を変更しクロウダット300シリーズが発表されます。ハート形のリップ中央に凹みを備えた障害物回避に優れたルアーは半世紀もの間、作り続けられていたそうです。クリークチャブ社は1900年代に創業しますが、現在はプラドコ社に吸収されています。
ニューディール政策から生まれたクランクベイト!ボーマーベイトの誕生の歴史
1929年~30年の間続いた世界恐慌がもたらした大不況を克服するためにルーズベルト大統領によりアメリカは国家プロジェクトとしてニューディール政策を始めます。
ニューディール政策とは市場への政府の介入を限定的にとどめる古典的な自由主義的経済政策から政府が市場に積極的に関与する政策へと転換したものです。
政策の中身にはアメリカ各地のダム建築がありました。ダムの建築の理由としては電力の供給量を確保する為です。
ニューディール政策により地元に水深のあるダム湖 レイクロバートが作られるという事を聞いたアイク、ウォーカーとクレアンス、タービーがこのダム湖を攻略したいと考えます。
そこで、Creek Chub社のCrawdadのリップを曲げて水平にするなどの改造を加えたディープダイビングクランクベイトの原点のルアーを作り出しアングラーの間で評判になります。
これがBomber Baitの原型です。当時のBomber Baitの完成品はすべてディープでの反射を避けるために黒く塗られ、黒以外の色は1946年以降まで追加されなかったそうです。1945年9月24日にはBomber Baitの特許を取ります。
戦争が終わった1946年にアイクとクレアンスはBomber Bait Companyを発足します。社名のBomberとは爆撃機や爆撃兵などの意味です。当時は戦争が終わって間もない時代だった事もあり、Bomber Bait の制作に必要な材料が入手困難な時代でした。
そこで、タバコの缶を切ってリップを作ったり、使い古しの電柱に使われていた木を取り寄せてボディの材料にしたりしてルアーを製作されていたようです。そんな大変な中ですが、1947年にはボーマーベイトは爆発的セールスを記録します。
この時のボーマーベイトのセールストークは、「もし、あなたがバックラッシュしても、ボーマーなら回収できる」だったそうです。
Bomber Baitは爆発的な注文が入りますが戦後間もない時期なのでフックが手に入りません。仕方なく売れ残りのルアーのフックを外して取り付けたり、お客から使わないルアーのフックを外して部品に当てたそうです。
1950年にボーマー社はBomber Baitの生産数を上げるべく他社に先駆けて初のプラスチック成形のルアーを作ります。しかし、ルアーの水漏れが酷く失敗に終わり会社は倒産のピンチに2年間は改良と開発に勤しむ事になります。1971年以降はウッド製のルアーはなくなり全てプラスチック製に変わります。
時代は流れ、1988年8月にBomber Bait CompanyはPRADCO社に吸収されます。このようにクランクベイトの誕生はディープダイバーから始まりシャロークランクベイトへと発展していく事になります。
シャロークランクベイトの誕生!フレッドヤングがビッグオーを作り出す!
フレッド・ヤングは原子力のエンジニアでした。彼は1960年代にテネシー州オークリッジにある原子力エネルギー委員会で働いていました。仕事中に2度の重傷を負い、その後の療養期間中にルアーの製作に取り組むようになりました。そして、1967年頃に製作したクランクベイトの元祖が後にBIG-O(ビックオー)と呼ばれるルアーです。
ビックオーの名前の由来が面白く、身体の調子が悪いフレッドヤング氏の製作したルアーを使って、釣り好きな弟のオーディスヤングがローカルトーナメントに参戦しビックオーを使って連戦連勝します。
トーナメントで連勝することで注目を集めたオーディスですが、成績だけではなく大きな体格の人だったので、とても目立っていたようでビックオーディスと呼ばれていました。
そんな、大男がが使って連勝するルアーなので、 ビック・オーディスが使うルアーということで、ビックオーと言われるようになります。
大人気ルアーになったビックオーは、ハンドメイドなので供給が追い付かず、当時のトーナメントでも貸出されるまでになり1日のレンタル料が実に20ドル~30ドルと当時としては、高価なレンタル料に加えて紛失してしまった時の為に保証金25ドルが掛かったそうです。
それぐらい、爆発的な人気のビックオーは皆が大金を払っても使いたいルアーになっていたそうです。
コットンコーデルのビッグオーは大人気のルアーを安価で提供する事に成功した
1970年代にコットンコーデルのプロモーターをしていたボビーマーレー氏が、テネシー州でビックオーの話を聞き手に入れよとしましたが、手に入りませんでした。仕方がないので直接フレッドヤングの家に出向きルアーを売ってもらいます。
そして、手に入れたビックオーをボビーマーレー氏はコーデル社長に見せました。すると、余程いいルアーだったようで、コーデル社長はフレッドヤングには内緒で、ビッグオーのプラスチック版を製作します。
コーデル社からビックオーのプラスチック版を販売する為に、フレッドヤング氏に許可を取りたく氏をコットンコーデル社に呼び出します。コーデル社長はビックオーを我社から販売したい旨の話をフレッドヤング氏にしました。
しかし、フレッドヤング氏はこのルアーはバルサだから出来るのであって、プラスチックでは作れないと言いました。コーデル社長はプラスチック版ビックオーを取り出しフレッドヤングに見せました。
驚いているフレッドヤングにコーデル社長が会社の裏に池があるので、プラスチックのビックOを試して欲しい、貴方が納得いかないなら金型を潰すしてルアーの販売は諦めますと言ったそうです。
池でプラスチック版ビックOを動かしたフレッドヤングは驚きます。プラスチック版ビックオーはバルサと遜色い動きや浮力がある事を確認します。フレッドヤングからコピー権を得てコットン・コーデル社からビックオーを発売することになります。
しかしフレッドヤング氏には不安がありました。ビックオーの製作は身体の弱い私の生活費の糧になっているので生産を止めることは死活問題になる事でした。
その旨を伝えるとコーデル社長は作り続ける事を了承します。バルサ製はプラスチック版とは違うのだから沢山作って商売して下さい。
ただ、私のお願いを聞いて下さい、ビックオーのシリアル番号の100番単位の物を送ってもらえないか?と伝えたところフレッドヤング氏は快く了解し100番単位のビックOをコーデル社長に送ったそうで、結局プラスチック版のビックOは爆発的なセールスを記録しフレッドヤング氏の生活は潤う事になります。
コットンコーデルから出たビッグOの広告には「フレッドヤングが作るビッグOを30ドルでレンタルしたりする必要がなくなり、2.50ドルと安価で購入できる」と謳われています。また、デカバスは高価なルアーだから釣れるのではないとも皮肉っています。
クランクベイトのアルファベット戦争を知ることでクランクの歴史を知る
コットン・コーデル社から発売されたビックOは驚異的なセールス記録を出します。これを見ていた他社ルアーメーカーもシャロークランクを発表します。1970年代にBomber Bait CompanyはモデルAを発表し累計数千万個の驚異的なセールを叩き出します。
Bagley Bait Companyはバルサ素材のBシリーズを発表しクランクベイトによるレンジコントロールができるシステムを作ります。
ノーマン社はN、レーベルはRというように各ルアーメーカーはクランクベイトの名に自社に因んだアルファベットを付けていきます。
この時代はルアーメーカーも苦境に立っていたようで経営状態も大変でしたが、爆発的なクランクベイトの売上で各メーカーは蘇生していきます。この出来事が、クランクベイトのアルファベット戦争です。クランクベイトが世に出てこなかったらバス釣りの世界も変わっていたかもしれません。
おわりに
今回はクランクベイトの歴史と起源について書いてみました。ビッグOがクランクの元祖と言われていますが、ビッグOの登場以前にも様々なドラマを経てビッグOが登場したのが分かったと思います。
面白いのがシャロークランクから誕生していない点ではないでしょうか?ボク的にはシャロークランクが誕生した後にどうすれば深くクランクベイトを潜らせる事ができるのかという事で四苦八苦している歴史があるモノだと思っていましたが意外な歴史背景でした。
残念なのがフレッドヤング氏が何故、ファットボディのクランクベイトを作ろうと考えたのかというプロセスが色々調べたのですが分りませんでした。
彼が何を考え何を思って病室でバルサを削っていたのか?病弱な自身の体の弱さを呪っていたのか、それともこのルアーで人生を逆転させようと考えていたのか知りたい所ですね。
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また、Amazonからキンドル本「アメリカンルアーの歴史と起源」を販売しています。ルアーの誕生秘話や歴史に興味がある方は一読して下さい。キンドル・アンリミテッドに契約されている方は0円で読むことができます。
「ルアーの歴史と起源」クランクベイトとはどの様なルアーなのか?の記事があなたのバスフィッシングライフのサポートになれば幸いです。
では!!よい釣りを(^O^)/
コメント
スピナーベイトや
他のルアーもそうですが、
なぜ、この形になったのか
とても気になりますよね😃
ルアーて、ほんと不思議です。
次男坊さんコメントありがとうございます😃
確かに次男坊さんが言うように、ナゼこんな形に作ったのか
ふしぎですよね🤔クランクベイト作っている時からファットなボディにして
ディスプレイメントの効果を狙うぞ😁ってならないですからね。
これから先も不思議な形のルアーが誕生するんでしょうね。
ビル・ノーマンの現在までの
歴史を詳しく知りたいです!
宜しくお願いしますm(_ _)m
次男坊さん コメントありがとうございます😊
ビルノーマン氏の歴史ですね、あまりボクも詳しく調べた事がないので
調べてみたいと思います。
ビルノーマン氏は元はプラドコの従業員として働いていた経歴の持ち主で
独立してルアーメーカーを立ち上げます。
プラドコ社から2~3マイル離れた場所にノーマン ルアーズ カンパニーを
スタートしたそうです。2016年に古巣のプラドコに吸収されて現在に至ります。
ボクが現在知っているのはこの辺までです😊