今回のルアーの歴史と起源はメタルジグとスピンテールジグの歴史と起源を見て行きたいと思います。冬の低水温期に使用頻度が増えるメタルジグやスピンテールジグですが、様々な季節でも使えるルアーです。
ボクたち世代はメタルジグと言えばローランド マーチン氏を思い出すのではないでしょうか、河口湖でのトーナメントでホプキンスのバーチカルジギングで次々とバスを釣る姿を見てバーチカルジギングの釣りを真似した人も多いと思います。
また、スピンテールジグも投げて巻くだけで釣れる操作の簡単さで人気が再浮上しましたが、このタイプのルアーも既に1960年代に登場したルアーが最初です。
では! メタルジグとスピンテールジグの歴史を見て行きましょう(^O^)/
最古のメタルジグHaskell Minnow! 見た目が芸術品すぎる!
1859年9月20日にオハイオ州ペインズビルの有名な銃メーカーのオハイオ ガンスミスからライリーハスケルによって特許が取得されました。ハスケルのジグの登場以降に様々なジグは世に出てきますがパテント申請はなかったようです。
このミノーの形をしたHaskell Minnowが最古のジグと言われています。また、釣り具のパテントしても最古の部類に入るそうです。
このリレイ ハスケルのジグはトローリングでの使用を目的に作られたジグでサイズは4タイプあり、内部の構造は木のボディに左右から銅板でサンドしてハンダで付けられた製法で作られ木のボデイが比重を抑えて沈みが速くならないように考えられた構造です。
装飾も銃工の職人によるエッチングが施され、まるで芸術品に値するので、このルアーは様々な面で価値が高くルアーコレクターがライリー・ハスケルの作品を欲しがるだけでなく、銃のコレクターも彼の作品を高く評価しています。
そんなHaskell Minnowはオークションで100,000ドルの値で落札され史上最高値のルアーの記録を樹立しています。このオークションは、ニューヨークのラングズ・オークションズ(Lang’s Auctions of New York)によって行われました。フィッシンググッズのサザビーズのようなもので、世界中のタックルコレクターを対象とした半年ごとのオークションを開催しています。
歴史的にはルアー部門はサブ的な事業だったようで、当時は南北戦争の時代でもあったので、銃の製造や修理が主な仕事だったと考えられます。ライリーハスケルは1882年の6月24日に亡くなっています。
80年代からのメタルジグの進化していく過程をみてみよう!
1883年 | フルーガーがメタルジグの特許取得 |
1928年 | フレッドアーボガストが金属のみのボディのメタルジグを作る |
1950年 | R.L.ホプキンス氏によってホプキンスが作られる |
1950年後半 | カストマスター、CCスプーン等のメタルジグが登場 |
1883年にフルーガー社がインライン スピナースプーンをパテントを申請し修得します。1928年にアーボガスト社がTin Liz Metal Minnowをパテント申請、1930年にパテント修得します。
アーボガストのジグは無垢のボデイ形状でハスケルのジグとは違い縦にスピーディーに使用することが出来るとパテントに明記しています。
1950年代に入るとR.L.ホプキンス氏がメタルジグのホプキンスを世に送り出します。元々ホプキンスは海釣りで使う事を想定して作られていたようです。
強度やアクション、そして突如始まるボイルに対しても遠投に優れたホプキンスは、現代のメタルジグの基本的なモデルとなってます。
その後、Acme Tackle CompanyのカストマスターやコットンコーデルのCCスプーンなどのメタルジグが市場に出てくるのです。
Acme Tackle Companyは、ヘンリーE.(アート)ラヴァリーが、兄のアルとジュエリーとで研磨および電気メッキの会社を設立します。その3年後の1952年に釣り道具事業に参入します。ラヴァリーは金属製のルアーを作成しました。その後、ラヴァリーはエンジニアリングデザインアソシエイツによって開発されているルアーについて学びました。
AcmeはEDAとロイヤルティ契約を結び、ルアーの販売権を取得しました。ラヴァリーはルアーをテストし、ルアーの全長を長くし、他のルアーと同じようにの宝石ような仕上がりにしました。それがカストマスターです。
1960年に登場したリトルジョージの名前の由来が感動的!
1960年にマンズ ベイト カンパニーからリトル ジョージが登場します。ボトムをホップさせてもリーリングで引いて使っても誰でも簡単にバスが釣れるルアーです。当時、魚探とリトル ジョージがあれば8ポンドクラスはいくらでも釣れたそうで大人気ルアーになりました。
マンズ ベイト カンパニーの創始者、トム マン氏はハミングバードの魚探を作った事ても有名な方です。トム マン氏は環境保安官の職に就きたかったのですが、空きが無かった為に釣具店で働きながら、自作のジグを作って環境保安官の空きが出るのを待っていました。
そして環境保安官に就職することが出来たものの自作のジグがもの凄く売れてしまい、トム マン氏は好きな環境保安官の仕事を続けるかどうか悩みます。
その時、上司だった、ジョージ ウォレスンが環境保安官を一年休職してちゃんと会社を経営しなさいと助言してくれます。
ジョージの言葉に押されてルアー会社の経営に力を入れることを決意した、トム マンはジョージ ウォレスンに感謝を込めて、ジョージ ウォレスンの名前を取って、ルアーにリトルジョージと名付けられたそうです。
実は様々なメーカーがスピンテールジグを作っていた!
1970年になるとレーベルやヘドン、コットンコーデルそしてボーマーもスピンテールジグを発表していきます。この頃のスピンテールジグはオリジナリティー溢れたジグたちです。
コットンコーデルのスーパーシャッドはプラスチックボディで作られたスピンテールジグです。ブレードの取り付け方法はスイベルで取り付けられています。
レベルのロケットシャッドは金属のボディにリトルジョージと同じくクレビスを使ってブレードを装着しています。
ジグってどういう定義なのかと考えるとスプーンと似ている形状もありますが基本的に縦で使うことが出来るのがジグで横方向に使うのがスプーンと定義するといいようです。
おわりに
今回はメタルジグとスピンテールジグの歴史と起源に触れてみました。面白い事にメタルジグの場合にはルアーの内部構造や外観の装飾が古いメタルジグの方が複雑に作られている点ではないでしょうか?
この時代でここまで精巧にモノを作りあげる職人の技術には驚かされる事が多いですし、歴史的に見て銀細工の職人や時計職人などの異業種の釣りとは関係ない業種の人達が趣味が高じてタックルを作り出す行動がとても興味深く感じます。
また、今回のメタルジグの歴史を見て面白いのが、時代が進むことでデザインが簡素化されていくのが、とても実用的で面白いと感じたのではないでしょうか?
今回はルアーの歴史と起源について書かせて貰いましたが、この記事を読むことで、みなさんのバスフィッシングライフが更に充実したモノになれば幸いです。
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